人 物 史

大舘尚氏 おおだち ひさうじ
生 没 年享徳3年(1454)-?
出 身-幼 名-
別 称十郎、長楽軒、宝秀軒
法 名常興
戒 名-
大舘教氏-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者山名豊之の娘
大舘光重、大舘高信、大舘晴光、大舘藤安、娘(足利義晴の妻)、娘(玄秀の妻)
官 位治部少輔、兵庫頭、弾正少弼、左衛門佐、伊予守
役 職室町幕府 奉公衆
城 郭-
参 考 文 献大舘尚氏に関する参考文献
関 連 デ ー タ大舘尚氏の関連文化財
大舘尚氏 年表
享徳3年 1454年 -月-日 1歳
大舘尚氏が生まれる。
出典:-

康正1年 1455年 7月25日 2歳
「享徳」より「康正」に年号が改まる。
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長禄1年 1457年 9月28日 4歳
「康正」より「長禄」に年号が改まる。
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寛正1年 1460年 12月21日 7歳
「長禄」より「寛正」に年号が改まる。
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文正1年 1466年 2月28日 13歳
「寛正」より「文正」に年号が改まる。
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応仁1年 1467年 3月5日 14歳
「文正」より「応仁」に年号が改まる。
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文明1年 1469年 4月28日 16歳
「応仁」より「文明」に年号が改まる。
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長享1年 1487年 7月20日 34歳
「文明」より「長享」に年号が改まる。
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延徳1年 1489年 8月21日 36歳
「長享」より「延徳」に年号が改まる。
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明応1年 1492年 7月19日 39歳
「延徳」より「明応」に年号が改まる。
出典:-

文亀1年 1501年 2月29日 48歳
「明応」より「文亀」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永正1年 1504年 2月30日 51歳
「文亀」より「永正」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

大永1年 1521年 8月23日 68歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
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大永2年 1522年 6月28日 69歳
足利義晴が祇園会を見物するため下御所に赴く。伊勢貞孝大舘尚氏等が供をする。
出典:『祇園会御見物御成記』(『群書類従』)

享禄1年 1528年 8月20日 75歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
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天文1年 1532年 7月29日 79歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文5年 1536年 1月1日 83歳
山科言継が、大舘尚氏大舘晴光、大舘兵庫頭、大舘治部大輔、大舘弥三郎、上野与三郎、千秋将監、彦部又四郎、朝日孫右衛門、荒川氏隆本郷光泰、本郷三郎、小笠原民部少輔、一色式部少輔、海老名高助、海老名二郎、細川高久、細川刑部少輔、飯川彦九郎のもとに礼に赴く。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文6年 1537年 1月1日 84歳
細川晴元、外様衆の細川元常、細川陸奥守、細川二郎四郎、摂津元造、二階堂左衛門尉、御供衆の大舘常興大舘晴光、大舘兵庫頭、畠山民部大輔、上野与三郎、大舘治部大輔、朽木稙綱、伊勢兵庫助が出仕する。足利義晴足利菊童丸への取次は荒川氏隆
出典:『言継卿記』同年月日条

天文7年 1538年 9月1日 85歳
六条八幡宮に納める御馬代1疋について御倉 正実坊にいるものを送ってはと大舘尚氏が宮内卿局に問い合わせたところ問題ないとの返答を受けたので治部河内守が正実坊のもとにその旨を伝えることを細川高久へ折紙をもって伝える。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文7年 1538年 9月1日 85歳
大舘尚氏のもとに細川高久が訪れる。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文7年 1538年 9月2日 85歳
六条八幡宮に納める御馬代1疋について、八朔の進上物として細川晴元が幕府に納めた馬が御倉 正実坊にいるのでそれを請け取るようにと治部河内守に伝える。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文7年 1538年 9月8日 85歳
細川高久細川晴元による山城国段銭賦課について奉公衆の所領を免除するようにとする御内書の作成を大舘常興に依頼し、案文を受け取る。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 2月19日 89歳
朽木稙綱大舘常興に蜜柑1包を贈る。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 2月20日 89歳
畠山稙長、丹下備後より畠山弥九郎との和睦は難しいこと、御内書の発給を忝く思うことを伝える書状が大舘常興に届く。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 2月21日 89歳
遊佐次郎左衛門が大舘常興に年始の礼として太刀1腰を贈る。常興は遊佐に返礼として太刀1振を贈る。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 3月8日 89歳
摂津元造細川高久大舘常興のもとを訪れ、禁裏より内裏修復のことについて、用木を清水山より切り出すこと、また山科郷内の神木3本を三宝院より買い取ることについて、足利義晴からの諮問があったため常興に相談する。常興は、そのように下知をすればよいとの返答する。高久は手日記にその旨を記載し、元造と常興の署判を得る。
常興が元造に奈良油煙1挺を贈る。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 3月10日 89歳
畠山稙長に稙長出陣の旨を賞する御内書の発給につき、大舘晴光が父・常興に案文を求め、案文を得る。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 3月11日 89歳
大舘常興が北畠晴具に羅3疋(萌黄、紫、黒)を贈る。畠山匠作へ羅3疋(紅、萌黄、黒)を贈る。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 3月12日 89歳
足利義晴の使者として大舘常興のもとを祐阿が訪れる。訪問目的は、筒井順昭より代替わりの御礼進上があったが御内書を発給するべきか否かとのこと。常興としては不要であると考えるが、六角定頼伊勢貞孝が必要と考えるならば発給してもよいと返答する。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 3月21日 89歳
大舘常興茨木長隆に書状を遣わし、井出新庄の公用について去年分が納入されていないので、池田氏に納入するよう伝えてほしいと伝える。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 3月26日 89歳
大舘常興が上洛する。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 閏3月11日 89歳
足利義晴六角定頼坂本(近江国)滞在時の支援を謝すべく御内書を発給するにあたり、案文の作成を大舘常興に命じる。常興より案文2案が提出される。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 閏3月25日 89歳
結城国縁、杉原晴盛をもって、御供衆の大舘常興、上野与三郎、大舘晴光、吉見右馬頭、大舘兵庫頭、伊勢因幡守、大舘治部大輔、細川晴経朽木稙綱に、26日の御殿普請につき侍・中間を問わず小者3名を鋤を持たせて提供するようにと足利義晴が命じる。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 閏3月26日 89歳
足利義晴が御殿の普請に取り掛かる。庭石をひき、木を植える。作事奉行は結城国縁、杉原晴盛、祐阿。この普請に大舘常興は中間の孫兵衛、又五郎、新五郎を出す。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 4月1日 89歳
畠山義総より大舘常興のもとに要脚を支出する旨の書状が到来する。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 4月4日 89歳
二本松畠山家より大舘常興のもとへ例年のごとくいりこ10束が届く。
八幡橘本坊が常興のもとを訪れ茶10袋を贈る。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 4月16日 89歳
大舘晴光が自身の宿所である「ししう院」に父・常興の来訪を促す。常興より19日が吉日であるので当日に赴くとの返答がある。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

天文11年 1542年 4月19日 89歳
大舘晴光の宿所「ししう院」に父・常興が訪れる。
出典:『大舘常興日記』同年月日・16日条

天文11年 1542年 5月1日 89歳
倶利伽羅明王院(加賀国)住持職について本願寺証如より当地門徒中へ受け入れるようにとの命が下ったことについて、証如へ珍重の旨を大舘常興より伝えるよう言い渡される。
大舘晴光が父・常興のもとに礼に訪れる。
出典:『大舘常興日記』同年月日条

- -年 -月-日 
大舘常興が死去する。
出典:-

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