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史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
人 物 史
日乗(朝山日乗)
にちじょう
生 没 年
?-天正5年(1577)9/15
出 身
-
俗 姓(氏)
-
俗 名
-
別 称
善茂、典済、典斎
院 号 坊 号
-
父
-
母
-
兄 弟 姉 妹
日乗(朝山日乗)
所 属 寺 社
-
僧 位 僧 官
-
諡 号
-
師 匠
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
○
史料にみえる日乗(朝山日乗)の呼称
日乗(朝山日乗) 年表
- -年 -月-日
日乗
が生まれる。
出典:-
永禄12年 1569年 6月18日
日吉社
社家 行丸が
日乗
のもとへ赴く。行丸は日乗のもとにやってきた
山科言継
に社頭修理のため本院執行代の申状と社家連署状をもって禁裏奉加奉加の綸旨発給を依頼する。日乗の口添えもあり、言継は長橋局に綸旨発給を申請する。
出典:『言継卿記』同年月日条
永禄13年 1570年 2月13日
村井貞勝
、
日乗
が
山科言継
のもとに礼に赴く。門外にて対面する。樽代30疋(300文)を送る。
出典:『言継卿記』同年月日条
永禄13年 1570年 2月26日
村井貞勝
が曼殊院覚恕のもとを訪れる。曼殊院覚恕、
山科言継
、
村井貞勝
、
日乗
と湯漬を相伴する。みな下戸であるので中酒は形ばかりを繕う。
出典:『言継卿記』同年月日条
永禄13年 1570年 3月6日
織田信長
の命にて
明智光秀
・
日乗
が公家衆に知行分の申告をさせ吟味のうえ給付することを伝える。
出典:『言継卿記』同年月日条
元亀1年 1570年 5月18日
日乗
が
永原城
(近江国)に在陣中とされる
織田信長
を見舞うため、京都(山城国)を出立する。
出典:『言継卿記』同年月日条
元亀1年 1570年 5月19日
永原城
(近江国)にいる
織田信長
のもとに見舞いに赴いていた
日乗
と
村井貞勝
が京都(山城国)に戻る。信長と
六角義賢
との和議が不調に終わる。信長は美濃国に向け、永原城を発ったとされる。その道中、信長は甲津畑(近江国)にて鉄砲4挺にて狙撃される。
義賢・
義治
父子は石部城(近江国)を軍勢20000で攻める。
出典:『言継卿記』同年月日・22日条
天正5年 1577年 9月15日
日乗
が死去する。
出典:-
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