人 物 史

二階堂貞藤 にかいどう さだふじ
生 没 年文永4年(1267)-建武1年(1334)12/30
出 身-幼 名-
別 称-
法 名道蘊
戒 名-
二階堂行藤-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
二階堂兼藤
官 位出羽守
役 職鎌倉幕府 引付頭人
建武政権 雑訴決断所四番衆
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
二階堂貞藤 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
文永4年1267--1二階堂貞藤が生まれる。-
元弘1年133192765幕府を倒幕するため挙兵した後醍醐天皇の籠る笠置城(山城国)攻めに加わる。『関城書裏書』
正慶1年13329-66護良親王楠木正成等を討伐するための北条貞直・北条時治・二階堂道薀率いる幕府軍が上洛する。『桜雲記』巻之上
正慶2年133311667二階堂貞藤が幕府軍の総大将として吉野を攻撃する。『大乗院日記目録』同年月日条
正慶2年13332-67幕府軍が赤坂城(河内国)を攻め落とす。『桜雲記』巻之上
正慶2年13332-67幕府軍が護良親王の拠る吉野城(大和国)を攻め落とす。『桜雲記』巻之上
正慶2年1333閏22467後醍醐天皇が配流地の隠岐国を脱出し、伯耆国稲津浦に移る。『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
正慶2年1333閏22667後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
正慶2年133342767足利高氏が篠村(丹波国)にて幕府方から後醍醐天皇方に寝返る。『梅松論』、『関城書裏書』
正慶2年133352267新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。『関城書裏書』
建武1年1334122868二階堂貞藤二階堂兼藤父子が六条河原にて処刑される。日静書状「上総藻原寺所蔵金剛集第六巻裏書」『南北』関東1巻-194号
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