人 物 史

北条高時 ほうじょう たかとき
生 没 年嘉元1年(1303)12/2-元弘3年(1333)5/22
出 身-幼 名成寿丸
別 称-
法 名崇鑑
戒 名日輪寺殿崇鑑
北条貞時安達泰宗の娘
兄 弟 姉 妹覚久、北条菊寿丸、北条高時、北条泰時、崇暁、北条金寿丸、北条千代寿丸、女(北条師時の妻)、女(北条煕時の妻)、女(土岐光定の妻)、女(北条時基の妻)
配 偶 者五大院宗繁の娘、安達時顕の娘
北条邦時、北条時行
官 位相模守、修理権大夫
役 職鎌倉幕府 執権
若狭国守護、伊豆国守護、駿河国守護、武蔵国守護、上野国守護、土佐国守護
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ北条高時の関連文化財
北条高時 年表
嘉元1年 1303年 12月2日 1歳
北条高時が生まれる。
出典:-

徳治1年 1306年 12月14日 4歳
「嘉元」より「徳治」に年号が改まる。
出典:-

延慶1年 1308年 10月9日 6歳
「徳治」より「延慶」に年号が改まる。
出典:-

応長1年 1311年 4月28日 9歳
「延慶」より「応長」に年号が改まる。
出典:-

応長1年 1311年 10月26日 9歳
父・貞時が死去する。
出典:-

正和1年 1312年 3月20日 10歳
「応長」より「正和」に年号が改まる。
出典:-

文保1年 1317年 2月3日 15歳
「正和」より「文保」に年号が改まる。
出典:-

文保2年 1318年 2月29日 16歳
後醍醐天皇が即位する。
出典:『桜雲記』巻之上

元応1年 1319年 4月28日 17歳
「文保」より「元応」に年号が改まる。
出典:-

元亨1年 1321年 2月23日 19歳
「元応」より「元亨」に年号が改まる。
出典:-

正中1年 1324年 12月9日 22歳
「元亨」より「正中」に年号が改まる。
出典:-

嘉暦1年 1326年 4月26日 22歳
「正中」より「嘉暦」に年号が改まる。
出典:-

正中2年 1325年 5月-日 23歳
日野資朝・日野俊基が幕府倒幕を企てたとして幕府に捕縛され、鎌倉へ送還される。
出典:『桜雲記』巻之上

正中2年 1325年 7月-日 23歳
御醍醐天皇が万里小路宣房を鎌倉に遣わし、北条高時に詫びを入れる。これにより、日野資朝は佐渡国に流罪に、日野俊基は帰京が許される。
出典:『桜雲記』巻之上

元徳1年 1329年 8月29日 27歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
出典:-

元徳2年 1330年 5月-日 28歳
御醍醐天皇の勅により幕府調伏の祈祷をしたとして、幕府が円観、文観、忠円を捕らえ鎌倉に送還する。
出典:『桜雲記』巻之上

元徳2年 1330年 6月-日 28歳
北条茂時が執権となる。
出典:『桜雲記』巻之上

元弘1年 1331年 8月9日 29歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
出典:-

元弘1年 1331年 10月-日 29歳
光厳天皇が即位する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 4月28日 30歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 9月-日 30歳
護良親王楠木正成等を討伐するための北条貞直・北条時治・二階堂道薀率いる幕府軍が上洛する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月26日 31歳
後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 4月27日 31歳
足利高氏が篠村(丹波国)にて幕府方から後醍醐天皇方に寝返る。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月7日 31歳
護良親王、千草忠顕、赤松円心、良忠が六波羅探題館を攻める。北条仲時・北条時益は関東に逃れるべく光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇とともに京都を脱す。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 5月22日 31歳
新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。
出典:『関城書裏書』

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