人 物 史

畠山基国 はたけやま もとくに
生 没 年文和1年・正平7年(1352)-応永13年(1406)1/17
出 身-幼 名-
別 称三郎
法 名-
戒 名長禅寺殿春岩徳元
畠山義深-
兄 弟 姉 妹畠山基国、畠山深秋
配 偶 者-
畠山満家、畠山満則
官 位右衛門佐、尾張守、右兵衛督
役 職室町幕府 管領
河内国守護、和泉国守護、越中国守護、能登国守護、山城国守護、紀伊国守護、摂津国守護
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ畠山基国の関連文化財
畠山基国 年表
観応3年・正平7年 1352年 -月-日 1歳
畠山基国が生まれる。
出典:-

延文3年・正平13年 1358年 4月29日 7歳
足利尊氏が死去する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞治6年・正平22年 1367年 12月7日 16歳
足利義詮が死去する。
出典:-

正平23年 1368年 3月11日 17歳
後村上天皇が崩御する。
出典:-

応安1年・正平23年 1368年 4月15日 17歳
足利義満が元服する。理髪役は細川業氏。
出典:『愚管記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川業氏」の項

応安3年・建徳1年 1370年 7月24日 19歳
「正平」より「建徳」に南朝の年号が改まる。
出典:-

康暦1年 1379年 3月22日 28歳
「永和」より「康暦」に北朝の年号が改まる。
出典:-

康暦1年・天授5年 1379年 10月2日 28歳
父・義深が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第98「清和源氏 義家流 足利支流 畠山」「畠山義深」の項

嘉慶1年・元中4年 1387年 8月2日 36歳
「至徳」より「嘉慶」に北朝の年号が改まる。
出典:-

明徳2年・元中8年 1391年 12月30日 40歳
内野(山城国)にて山名満幸・山名氏清足利義満が戦い、義満が勝利する。氏清が戦死する。
出典:-

明徳3年 1392年 3月2日 41歳
細川頼之が死去する。
出典:『高野山過去帳』、『大乗院日記目録』同年月日条、『執事補任次第』

応永1年 1394年 7月5日 43歳
「明徳」より「応永」に年号を改める。
出典:-

応永6年 1400年 10月27日 49歳
大内義弘の幕府への謀叛が噂される。
出典:『東院毎日雑々記』同年月日条

応永6年 1400年 11月29日 49歳
堺城にて大内義弘と幕府軍が戦う。
出典:応永6年12月日得田章長軍忠状(「得田文書」『加能史料』室町Ⅰp80)

応永6年 1400年 12月21日 49歳
にて大内義弘と幕府軍が戦い、義弘が戦死する。
出典:『五壇法記』・『東院毎日雑々記』同年月日条

応永13年 1406年 1月17日 55歳
畠山基国が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第98「清和源氏 義家流 足利支流 畠山」「畠山基国」の項

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