城 郭 史

矢作城(下総国) やはぎじょう
築 城 年-
築 城 者-
改 築 年-
改 築 者-
廃 城 年-
別 称-
現 所 在 地〒287-0035
千葉県香取市大崎962
史 料 地 名-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク鳥居元忠
矢作城(下総国) 年表
慶長5年 1600年 6月17日 
徳川家康伏見城(山城国)の留守居として、鳥居元忠松平家忠内藤家長松平近正を置く。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第29「松平家忠」の項

慶長5年 1600年 7月17日 
毛利輝元大坂城(摂津国)西の丸に入る。徳川家康に対し所業の悪さを詰問する13ヶ条からなる詰問状を石田三成前田玄以増田長盛長束正家が連署で発給する。
増田長盛が伏見城(山城国)の留守居であった鳥居元忠に退城を促すが断られる。
出典:『義演准后日記』同年月18日条

慶長5年 1600年 7月19日 
伏見城(山城国)に留守居として残した鳥居元忠が伏見の増田長盛邸、前田玄以邸を焼き払う。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『左大史孝亮記』同年月日条

慶長5年 1600年 7月20日 
石田三成等が徳川家康家臣・鳥居元忠が籠る伏見城(山城国)を攻撃する。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長5年 1600年 7月22日 
石田三成鍋島勝茂等が徳川家康家臣・鳥居元忠が籠る伏見城(山城国)を攻撃する。
出典:『左大史孝亮記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第823「鍋島勝茂」の項

慶長5年 1600年 7月24日 
石田三成等が徳川家康家臣・鳥居元忠が籠る伏見城(山城国)を攻撃する。
出典:『左大史孝亮記』同年月日条

慶長5年 1600年 7月27日 
石田三成等が徳川家康家臣・鳥居元忠が籠る伏見城(山城国)を攻撃する。なかなか落城しないため、「大鉄砲」を用いる。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長5年 1600年 7月29日 
石田三成等が徳川家康家臣・鳥居元忠が籠る伏見城(山城国)を攻撃する。島津義弘が城を極楽橋より攻めるも、留守居の鳥居元忠に退けられる。
出典:『関原始末記』

慶長5年 1600年 7月30日 
石田三成等が徳川家康家臣・鳥居元忠が籠る伏見城(山城国)を攻撃する。寅刻(3-5時)、松丸を落とす。
出典:『義演准后日記』同年月日条

慶長5年 1600年 8月1日 
石田三成等が伏見城(山城国)が攻め落とす。鳥居元忠松平近正松平家忠内藤家長、岩間兵庫、上林竹庵が討死する。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『御堂日記』同年月日条(『真宗本廟(東本願寺)造営史研究』)、『関原始末記』、『寛政重修諸家譜』巻第13「松平近正」の項、『寛政重修諸家譜』巻第29「松平家忠」の項

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