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寛政重修諸家譜 索引(製作中)
史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
地 名 の 歴 史
桑名(伊勢国)
くわな
初 見
-
国
伊勢国
郡
桑名郡
荘 園
-
中 世 高
-
近 世 領 主
-
近 世 石 高
-
鎮 守
-
神 社
-
寺 院
-
城 郭
桑名城
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
桑名郡(伊勢国) 年表
永禄12年 1569年 8月20日
織田信長
が伊勢国に侵攻するため軍勢80000をもって
岐阜城
(美濃国)を出陣する。
桑名
(伊勢国)に宿す。
出典:『多聞院日記』同年9月7日条、『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」、『当代記』巻1同年月日条
天正1年 1573年 9月26日
織田信長
が
桑名
(伊勢国)に軍勢を遣わし、一向一揆が立て籠る西別所城(伊勢国)の攻撃を
佐久間信盛
、
羽柴秀吉
、
蜂屋頼隆
、
丹羽長秀
に命じ、同城を落とす。
出典:『信長公記』巻6(17)(「北伊勢発向、多芸山戦の事」)
天正12年 1584年 11月6日
羽柴秀吉
が
桑名
(伊勢国)に攻め入り、桑部・柿多の城を落とす。
出典:(天正12年)11月6日付羽柴秀吉朱印状(『豊臣秀吉文書集成』2-1252「近江水口加藤子爵家文書」)
文禄2年 1593年 12月7日
豊臣秀吉
が
桑名
(伊勢国)に到着する。
出典:『駒井日記』同年月8日条
慶長20年 1615年 1月6日
辰刻(7-9時)、
徳川家康
が亀山(伊勢国)を出立する。道中、山のしげる箇所があったため、家康は日向半兵衛、
島田直時
に命じ鉄砲衆200人を山に入れ敵がいないか探索させる。申刻(15-17時)、
桑名
(伊勢国)に到着する。
桑名城
(伊勢国)城主の
本多忠政
は
大坂城
(摂津国)の堀・櫓破却につき不在のため、留守居の者が家康を饗応する。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条
元和3年 1617年 -月-日
徳川秀忠
が
松平定勝
に伊勢国
桑名郡
・三重郡・員弁郡・朝明郡内で110000石を給付し、
桑名城
(伊勢国)城主とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第54「松平定勝」の項
寛永1年 1624年 3月14日
松平定勝
が
桑名城
(伊勢国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第54「松平定勝」の項
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