人 物 史

島田直時 しまだ なおとき
生 没 年元亀1年(1570)-寛永5年(1628)10/7
出 身三河国矢作幼 名-
別 称清左衛門
法 名道因
戒 名-
島田重次多田慶忠の娘
兄 弟 姉 妹島田春世、島田成重、島田直時、島田利氏、島田利正
配 偶 者-
島田直次、娘、娘、島田時郷
官 位越前守
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
島田直時 年表
元亀1年 1570年 -月-日 1歳
島田直時三河国矢作にて生まれる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 1歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 4歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 6月2日 13歳
本能寺に宿泊中の織田信長を、早朝、明智光秀が襲撃する。信長は自害する。また、光秀は二条殿に籠城する織田信忠とその小姓勢を討ち取る。
信長勢:森成利(戦死)、福富秀勝(戦死)、野々村正成(戦死)。
信忠勢:村井貞勝(戦死)、菅屋長頼(戦死)、織田信房(戦死)、団忠正(戦死)。
出典:『多聞院日記』同年月日・3日条

文禄1年 1592年 12月8日 23歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
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慶長1年 1596年 10月27日 27歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
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慶長3年 1598年 8月18日 29歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 2月12日 34歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長8年 1603年 3月25日 34歳
巳下刻(10時)、徳川家康が参内する。結城秀康細川忠興池田輝政京極高次福島正則、松平忠良、松平飛騨守、松平清直、松平家清本多正純本多康紀本多忠勝石川康通井伊直継本多康俊板倉勝重、本多藤四郎、渡辺守綱、山上弥四郎、島田直時、鵜殿善六、横田弥五左衛門、高木九助、近藤秀用竹中重義森可澄、三好助三郎、三好可正、佐々木勝九郎、近藤政成、松平一生、戸田采女、内藤正成秋元泰朝松平正綱近藤季用大久保忠総、酒井主水、永井直勝三浦重成米津正勝、中山信吉、柴田左近、成瀬正成安藤直次、榊原甚五兵衛、横田尹松、日下部宗好、長谷川久五郎、阿部忠吉、豊島信満、林忠政、花井勝右衛門、伊奈忠政、加藤吉左衛門、高木善三郎、朝比奈弥太郎、石川康次、鳥井九郎左衛門、里見忠重、都築与右衛門が供奉する。将軍宣下の礼として禁裏に銀子1000枚を進上する。午下刻(12時)退出する。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 36歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長20年 1615年 1月6日 46歳
辰刻(7-9時)、徳川家康が亀山(伊勢国)を出立する。道中、山のしげる箇所があったため、家康は日向半兵衛、島田直時に命じ鉄砲衆200人を山に入れ敵がいないか探索させる。申刻(15-17時)、桑名(伊勢国)に到着する。桑名城(伊勢国)城主の本多忠政大坂城(摂津国)の堀・櫓破却につき不在のため、留守居の者が家康を饗応する。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条

元和1年 1615年 7月13日 46歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月4日 47歳
徳川家康石川忠総を召し寄せ、徳川秀忠に仕えること、大久保忠為を召し新田開発をするよう命じる。
家康が佐竹義宣に遺物として牧谿筆豊干の画を賜う。使者は島田直時
出典:『寛政重修諸家譜』巻第118「石川忠総」の項、同巻第129「佐竹義宣」の項

元和2年 1616年 4月17日 47歳
徳川家康が死去する。
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寛永1年 1624年 2月30日 55歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
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寛永5年 1628年 10月7日 59歳
島田直時が死去する。
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