地 名 の 歴 史

伊勢国[国] いせのくに
初 見-
伊勢国
桑名郡、員弁郡、朝明郡、三重郡、鈴鹿郡、河曲郡、安芸郡、安濃郡、一志郡、飯高郡、飯野郡、多気郡、渡会郡
荘 園-
中 世 高-
近 世 領 主-
近 世 石 高-
鎮 守-
神 社-
寺 院-
城 郭伊勢国の城郭
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
伊勢国[国] 年表
天文21年 1552年 -月-日 
分部光嘉伊勢国にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第392「分部光嘉」の項

永禄12年 1569年 8月20日 
織田信長が伊勢国に侵攻するため軍勢80000をもって岐阜城(美濃国)を出陣する。桑名(伊勢国)に宿す。
出典:『多聞院日記』同年9月7日条、『信長公記』巻2(6)「阿坂の城退散の事」、『当代記』巻1同年月日条

天正4年 1576年 11月25日 
北畠具教が死去する。
出典:-

天正9年 1581年 9月3日 
織田信長が伊賀国攻めを命じる。甲賀口より堀秀政を大将に小姓衆・近江衆の丹羽長秀蒲生氏郷京極高次多賀常則・山崎源太左衛門・阿閉貞征、伊勢口より北畠信雄滝川一益、南伊賀へは宇多郡衆、西より畑口から筒井順慶、黒田へ福住が攻め込む。
出典:『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻14(10)「伊賀国三介殿仰付けらるるの事」

天正9年 1581年 9月10日 
伊賀国を攻めている織田信雄の軍勢が同国内の寺社を焼き討ちする。滝川一益堀秀政が佐野具(伊賀国)より出勢した伊賀国衆の足軽と戦う。
出典:『信長公記』巻14(10)「伊賀国三介殿仰付けらるるの事」

天正9年 1581年 9月11日 
佐野具城(伊賀国)に北畠信雄が入城する。
出典:『信長公記』巻14(10)「伊賀国三介殿仰付けらるるの事」

天正9年 1581年 9月15日 
筒井順慶の伊賀国攻めの攻め口の諸城20ヶ所余が降伏する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正12年 1584年 11月6日 
羽柴秀吉桑名(伊勢国)に攻め入り、桑部・柿多の城を落とす。
出典:(天正12年)11月6日付羽柴秀吉朱印状(『豊臣秀吉文書集成』2-1252「近江水口加藤子爵家文書」)

天正17年 1589年 10月10日 
豊臣秀吉が諸国に、来年3月、北条氏政を成敗するべく出陣するので、軍役として五畿内衆は半役、中国衆は4人役、四国以東尾張以西衆は6人役、北国は6人半役、遠江国・三河国・駿河国・甲斐国・信濃国は7人役を供出するようと命じる。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第12「来春関東陣御軍役之事」

慶長4年 1599年 10月28日 
富田一白が死去する。
出典:-

慶長5年 1600年 8月24日 
毛利秀元吉川広家天野元政・元倶父子、宍戸元続福原広俊、益田元祥、渡辺広、長束正家富田信高の籠る安濃津城(伊勢国)を攻める。
毛利勢:山内広通(天野元政勢)、山崎定勝
富田勢:分部光嘉
出典:『関原陣輯録』「勢州阿濃津の城落去の事」(三坂圭治校訂『戦国期毛利氏史料撰』マツノ書店、1987年)

慶長5年 1600年 8月25日 
毛利秀元吉川広家天野元政・元倶父子、宍戸元続福原広俊、益田元祥、渡辺広、長束正家富田信高の籠る安濃津城(伊勢国)を攻める。信高は降伏する。
毛利勢:山内広通(天野元政勢)、山崎定勝
富田勢:分部光嘉
出典:『関原陣輯録』「勢州阿濃津の城落去の事」(三坂圭治校訂『戦国期毛利氏史料撰』マツノ書店、1987年)、『関原始末記』

慶長6年 1601年 2月-日 
徳川家康本多忠勝に桑名(伊勢国)を給付する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長15年 1610年 10月18日 
本多忠勝が死去する。
出典:-

慶長19年 1614年 1月14日 
山田(伊勢国)にて火災が起こり、町800間が焼失する。
出典:『当代記』同年月日条

慶長19年 1614年 10月11日 
本多忠政/a>が大坂城(摂津国)攻めにつき桑名城(伊勢国)より出陣する。
出典:『当代記』同年月日条

元和3年 1617年 -月-日 
徳川秀忠松平定勝に伊勢国桑名郡・三重郡・員弁郡・朝明郡内で110000石を給付し、桑名城(伊勢国)城主とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第54「松平定勝」の項

寛永1年 1624年 3月14日 
松平定勝桑名城(伊勢国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第54「松平定勝」の項

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