人 物 史

宇喜多忠家 うきた ただいえ
生 没 年天文2年(1533)-慶長14年(1609)
出 身-幼 名-
別 称七郎兵衛、閑斎
法 名安津、安心
戒 名-
宇喜多興家阿部善定の娘
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
宇喜多詮家、娘(富田信高の妻)、坂崎直盛、坂崎成方、娘(高橋元種の妻)
官 位出羽守
役 職-
城 郭富山城(備前国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
宇喜多忠家 年表
天文2年 1533年 -月-日 1歳
宇喜多忠家が生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 23歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
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弘治4年 1558年 2月28日 26歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
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永禄9年 1566年 2月5日 34歳
興善寺(美作国)にて遠藤秀清・俊通兄弟が三村家親を鉄砲にて狙撃し、家親は死亡する。
出典:『陰徳太平記』巻40「三村家親事」

元亀1年 1570年 4月23日 38歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
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天正1年 1573年 7月28日 41歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
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天正6年 1578年 4月-日 46歳
吉川元春小早川隆景宇喜多忠家尼子勝久山中幸盛の籠る上月城(播磨国)に攻め寄せる。羽柴秀吉荒木村重が救援に赴くが、城が落城する。
出典:『信長公記』巻11(6)「高倉山西国陣之事」

天正7年 1579年 2月-日 47歳
毛利輝元吉川元春吉川元長吉川広家小早川隆景率いる毛利勢40000が宇喜多直家領の美作国に向けて出陣する。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」

天正7年 1579年 9月4日 47歳
羽柴秀吉が播磨国より安土城(近江国)にいる織田信長のもとに赴き、宇喜多直家の赦免を請う。信長は、秀吉が事前に相談することなしに、直家の赦免を約束したことに怒り、秀吉を播磨国に追い返す。
出典:『信長公記』巻12(7)「荒木伊丹城・妻子捨て忍び出づるの事」

天正7年 1579年 9月12日 47歳
毛利輝元吉川元春吉川元長吉川広家小早川隆景率いる毛利勢が宇喜多家の小寺畑城(美作国)を攻め落とす。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」

天正7年 1579年 9月16日 47歳
毛利輝元吉川元春吉川元長吉川広家小早川隆景率いる毛利勢が宇喜多家の大寺畑城(美作国)を包囲する。
出典:『陰徳太平記』巻第61「毛利三家作州発向付処々城没落之事」

天正7年 1579年 10月30日 47歳
宇喜多直家織田信長に赦免してもらうため、宇喜多基家を昆陽(摂津国)に在陣中の織田信忠のもとに遣わし、この日、基家が昆陽に到着する。基家は羽柴秀吉の執り成しにより、信忠に礼をする。
出典:『信長公記』巻12(14)「氏政甲州表へ働の事」

天正9年 1581年 2月14日 50歳
兄・直家が死去する。
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天正10年 1582年 1月21日 50歳
父・直家の死去につき、重臣が織田信長のいる安土城(近江国)に赴き、秀家への家督相続を認めてもらう。
出典:『信長公記』巻15(2)「御爆竹の事」

文禄1年 1592年 12月8日 60歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
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慶長1年 1596年 10月27日 64歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
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慶長14年 1609年 -月-日 77歳
宇喜多忠家が死去する。
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