人 物 史

山中幸盛 やまなか ゆきもり
生 没 年天文14年(1545)8/15-天正6年(1578)7/17
出 身出雲国富田荘幼 名-
別 称甚次郎、鹿之介
法 名-
戒 名-
山中満幸
亀井秀綱[養父]
なみ(立原綱重の娘)
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者亀井秀綱の娘
山中幸元、山中幸範
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献山中幸盛に関する参考文献
関 連 デ ー タ山中幸盛の関連文化財
山中幸盛 年表
天文14年? 1545?年 8月15日 1歳
山中幸盛が出雲国富田荘にて生まれる。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第19「山中鹿助伝」

天文23年 1554年 11月1日 10歳
尼子晴久尼子国久誠久父子の殺害を命じ、国久は月山富田城(出雲国)登城中に討たれ、誠久は館にて自害する。
出典:-

天文24年 1555年 10月1日 11歳
厳島(安芸国)に滞在中の陶晴賢毛利元就が急襲し、晴賢は自害する。
出典:『言延覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年)、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」、同巻28「陶全羨最後之事」

弘治1年 1555年 10月23日 11歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 14歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄3年 1560年 12月24日 16歳
尼子晴久が死去する。
出典:-

永禄5年 1562年 -月-日 18歳
半月の兜の前立てを誂え、30日以内に武勇の誉を取れるようにと立願する。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第19「山中鹿助伝」

永禄8年 1565年 9月20日 21歳
毛利元就毛利輝元吉川元春吉川元長小早川隆景等が率いる軍勢25000が尼子義久の居城・月山富田城(出雲国)を攻めぐべく掠良木山に陣取る。
元就が末次(出雲国)に米原綱寛を、天満城に杉原盛重家臣の菖蒲左馬允・入江大蔵少輔・菊池肥前守を、守山に長屋小次郎を置く。
出典:『陰徳太平記』巻39「富田所々付城並山中鹿ノ助夜討事」

永禄9年 1566年 1月1日 22歳
尼子義久宇山久兼を殺害する。
出典:『陰徳太平記』巻40「卯山飛騨守生害之事」

永禄9年 1566年 11月21日 22歳
尼子義久毛利元就に降伏する。
出典:-

永禄9年 1566年 11月28日 22歳
尼子義久月山富田城(出雲国)より退城する。
出典:-

永禄12年 1569年 5月-日 25歳
尼子勝久山中幸盛、立原久綱、横道正光、横道高宗、真木宗右衛門、吉田三郎左衛門、吉田八郎左衛門、川副右京亮、川副三郎左衛門、川副次郎左衛門、目黒助次郎、米原助十郎、月坂助太郎、力石九郎兵衛、平野加兵衛、平野源助、宇山弥次郎、三吉五郎左衛門、三吉甚次郎、小林甚助、青砥助次郎、日野又五郎、大塚弥三郎、大野平兵衛、日野助五郎、福山内蔵允、中井与次郎、片桐治部丞、江美源内左衛門が隠岐国に到着する。
出典:『陰徳太平記』巻43「尼子勝久入雲州付松永霜台事」

永禄12年 1569年 6月23日 25歳
尼子勝久が忠山(出雲国)に陣取る。
出典:『陰徳太平記』巻43「尼子勝久入雲州付松永霜台事」

永禄12年 1569年 8月3日 25歳
藤井道晧、大江田隼人佑が所原肥後守の守る杉原盛重の居城・神辺城(備後国)を攻め、同城を落とす。盛重の子・景盛は城より脱出する。
出典:『陰徳太平記』巻44「備後国神辺城合戦並防州関所城合戦之事」

永禄13年 1570年 1月16日 26歳
毛利元就尼子勝久を攻めるべく、吉田郡山城(安芸国)より毛利輝元吉川元春吉川元長小早川隆景を出陣させる。
出典:『陰徳太平記』巻46「出雲国布弁合戦之事」

永禄13年 1570年 2月8日 26歳
毛利輝元小早川隆景が津賀(石見国)に陣取る。先陣の吉川元春吉川元長吉川経言が赤穴(出雲国)に陣取る。
出典:『陰徳太平記』巻46「出雲国布弁合戦之事」

永禄13年 1570年 2月9日 26歳
吉川元春元長経言父子が福山次郎左衛門・遠藤甚九郎・川副右京亮率いる尼子勝久勢の籠る多久和城を攻め、同城を落とす。
出典:『陰徳太平記』巻46「出雲国布弁合戦之事」

永禄13年 1570年 2月14日 26歳
布部山(出雲国)にて毛利輝元吉川元春小早川隆景率いる毛利勢と山中幸盛・立原久綱率いる尼子勢が戦い、毛利勢が勝利する。毛利勢は細迫左京亮、児玉弥七郎、粟屋元光、田門右衛門尉が、尼子勢は真木与一、隠岐清実、寺本四郎三郎、東藤八、金尾半四郎、飛石孫太夫、横道正光が戦死する。
出典:『陰徳太平記』巻46「出雲国布弁合戦之事」

永禄13年 1570年 2月24日 26歳
末次城(出雲国)に籠る尼子勝久を攻めるべく、吉川元春元長経言が同城の向かいの山に陣取る。。
出典:『陰徳太平記』巻46「出雲国布弁合戦之事」

元亀1年 1570年 4月23日 26歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 10月3日 26歳
尼子勝久が末次城(出雲国)を攻める。
勝久の末次城攻撃を月山富田城(出雲国)で聞いた吉川元春が末次城救援のため月山富田城を発つ。途中、杉原盛重、南条元清、三刀屋久扶、三沢為清、益田藤兼、山田重直が元春に合流し、末次城近くに陣取る。元春は元清・重直を新山攻めを命じる。勝久・幸盛・久綱は元春が後詰にやってきたことを受け、新山に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻47「勝久攻末次付後詰並米原降参之事」

元亀1年 1570年 10月10日 26歳
吉川元春尼子勝久山中幸盛、立原久綱等が籠る新山城(出雲国)より撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻47「勝久攻末次付後詰並米原降参之事」

元亀2年 1571年 3月18日 27歳
秋上久家が福頼元秀の籠る米子城(伯耆国)を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻48「羽倉元陰戦死之事」

元亀2年 1571年 3月19日 27歳
稗津にて吉田元重と羽倉元陰が戦い、元陰が戦死する。
出典:『陰徳太平記』巻48「羽倉元陰戦死之事」

元亀2年 1571年 -月-日 27歳
秋上綱平・久家父子が吉川元春を介し、毛利家に降伏する。
出典:『陰徳太平記』巻48「秋上父子心替之事」

元亀2年 1571年 6月14日 27歳
毛利元就が死去する。
出典:『陰徳太平記』巻48「毛利元就朝臣逝去並鹿助披擒事」

元亀2年 1571年 -月-日 27歳
末吉城に籠っていた山中幸盛が宍戸隆家・口羽通良を介し吉川元春に降伏を申し出る。元春は幸盛の処刑を主張するが、隆家・通良が助命を主張し、結果、幸盛を毛利家で召し抱えることになる。
出典:『陰徳太平記』巻48「毛利元就朝臣逝去並鹿助披擒事」

元亀2年 1571年 8月25日 27歳
吉川元春、宍戸隆家、口羽通良、杉原盛重、南条元清、三沢為清、三刀屋久扶等の軍勢7000が、尼子勝久の籠る新山城(出雲国)を攻める。勝久は城より脱出し、隠岐国に逃れる。
出典:『陰徳太平記』巻48「山中鹿助出奔付尼子勝久逃走於隠州之事」

天正1年 1573年 7月28日 29歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正5年 1577年 12月-日 33歳
上月城(播磨国)の城兵が城主を殺害し羽柴秀吉に降伏する。秀吉は上月城に山中幸盛を入れ置く。
出典:『信長公記』巻10(12)但馬播磨羽柴被申付事、『黒田家譜』巻1「孝高記」

天正6年 1578年 4月-日 34歳
吉川元春小早川隆景宇喜多忠家尼子勝久山中幸盛の籠る上月城(播磨国)に攻め寄せる。羽柴秀吉荒木村重が救援に赴くが、城が落城する。
出典:『信長公記』巻11(6)「高倉山西国陣之事」

天正6年 1578年 7月3日 34歳
上月城(播磨国)にて尼子勝久・豊若丸・常若丸父子、尼子氏久、尼子通久、神西元通が自害する。山中幸盛は毛利家の捕虜となる。
出典:-

天正6年 1578年 7月17日 34歳
毛利家により山中幸盛が殺害される。
出典:-

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