人 物 史

奥村易英 おくむら やすひで
生 没 年元亀2年(1571)-寛永20年(1643)12/21
出 身-幼 名-
別 称又十郎、可郷、栄郷、栄卿
法 名-
戒 名放光院傑心自英居士
奥村永福-
兄 弟 姉 妹奥村栄明奥村易英奥村栄頼
配 偶 者横山長隆の娘
奥村和忠、奥村易貞、娘(篠原重好の妻)、娘(多賀秀識の妻)、奥村正富[養子]
官 位備後守、主殿、因幡守
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる奥村易英の呼称
奥村易英 年表
元亀2年 1571年 -月-日 1歳
奥村易英が生まれる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 3歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
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文禄1年 1592年 12月8日 22歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 26歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
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慶長3年 1598年 8月18日 28歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長4年 1599年 閏3月3日 29歳
前田利家が死去する。
出典:『黒田家譜』巻9「長政記」、『当代記』巻3同年3月2日条

慶長8年 1603年 2月12日 33歳
朝廷にて徳川家康の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政が右近衛少将に、板倉勝重が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条

慶長10年 1605年 4月16日 35歳
徳川秀忠が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項

慶長18年 1613年 4月13日 43歳
前田利光が、娘・亀鶴の誕生につき駿府城(駿河国)にいる徳川家康に遣わした奥村易英が駿府(駿河国)に到着する。易英は家康に祝儀として銀100枚・服10領を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条

慶長19年 1614年 5月20日 44歳
前田利長が死去する。
出典:-

慶長19年 1614年 9月16日 44歳
前田利光が駿府(駿河国)に到着する。午刻(11-13時)、駿府城(駿河国)にいる徳川家康のもとに利光が礼をする。利光は黄金100枚・紅染絹200疋・白絹100疋を献上し、家康に対面する。家康は利光に太刀(銘 守家)・脇差(銘 長光)を賜う。本多正純が下賜物を伝達する。利光の家臣である奥村栄明奥村栄頼が家康と対面する。服を献上する。
夜、家康が利光に継目の朱印状を発給する。正純、土井利勝が利光のもとに持参する。
家康が利光に、17日朝に徳川秀忠のもとに戻るよう命じる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和1年 1615年 7月13日 45歳
「慶長」より「元和」に年号が改まる。
出典:『駿府記』同年月日条

元和2年 1616年 4月17日 46歳
徳川家康が死去する。
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元和6年 1620年 5月20日 50歳
兄・栄明が死去する。
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寛永1年 1624年 2月30日 54歳
「元和」より「寛永」に年号が改まる。
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寛永8年 1631年 4月4日 61歳
弟・栄頼が京都(山城国)にて死去する。
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寛永9年 1632年 1月24日 62歳
徳川秀忠が死去する。
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寛永20年 1643年 12月21日 73歳
奥村易英が死去する。
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