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史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
人 物 史
奥村栄頼
おくむら はるより
生 没 年
?-寛永8年(1631)4/4
出 身
-
幼 名
-
別 称
三郎兵衛、孝行
法 名
-
戒 名
-
父
奥村永福
母
-
兄 弟 姉 妹
奥村栄明
、
奥村易英
、
奥村栄頼
配 偶 者
寺西宗与の娘
子
奥村右近
官 位
右近、摂津守
役 職
-
城 郭
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
○
史料にみえる奥村栄頼の呼称
奥村栄頼 年表
- -年 -月-日
奥村栄頼
が生まれる。
出典:-
慶長3年 1598年 8月18日
豊臣秀吉
が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条
慶長4年 1599年 閏3月3日
前田利家
が死去する。
出典:『黒田家譜』巻9「長政記」、『当代記』巻3同年3月2日条
慶長8年 1603年 2月12日
朝廷にて
徳川家康
の征夷大将軍就任および右大臣転任についての陣儀が行われる。家康を淳和奨学院別当、源氏長者、牛車兵杖等に宣下することに決まる。陣儀の上卿が伏見の家康邸に赴き、家康に征夷大将軍就任の旨を言い渡し、家康が征夷大将軍となる。
池田輝政
が右近衛少将に、
板倉勝重
が従五位下・伊賀守に叙位・任官。
出典:『慶長日件録』同年月日条、『当代記』巻3同年月日条
慶長10年 1605年 4月16日
徳川秀忠
が征夷大将軍宣下を受ける。
板倉重宗
が従五位下・周防守に叙位・任官。
出典:『義演准后日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第81「板倉重宗」の項
慶長18年 1613年 5月20日
前田利光
が
駿府城
(駿河国)にいる
徳川家康
に礼をする。利光は家康に銀子500枚・綿500把・紅絹100疋・朽葉色絹100疋を献上する。利光の家臣・
横山長知
、
奥村栄明
、
奥村栄頼
が家康に礼をする。家康は利光、長知、栄明、栄頼と対面する。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長18年 1613年 5月22日
前田利光
が暇により江戸(武蔵国)に下向すべく
駿府城
(駿河国)を出立する。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長19年 1614年 5月20日
前田利長
が死去する。
出典:-
慶長19年 1614年 7月13日
徳川秀忠
の使者として
土井利勝
が
駿府城
(駿河国)にいる
徳川家康
のもとを訪れ、
前田利長
の隠居領である能登国160000石について、
前田利光
に給付すべきか否か相談する。家康は前田家家老の
前田長種
、水原新左衛門、
奥村栄頼
、
本多政重
を呼び、利光の妻である珠に30000石を給付すること、利光は若年によりよくよく後見するようにと命じる。家老衆は感涙し退出する。家老衆はそれぞれ家康に加賀絹50疋を献上する。また、利長の遺物である脇差(銘 不動正宗)・刀(銘 備前三郎)を家康に献上する。
本多正純
が披露する。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長19年 1614年 9月16日
前田利光
が駿府(駿河国)に到着する。午刻(11-13時)、
駿府城
(駿河国)にいる
徳川家康
のもとに利光が礼をする。利光は黄金100枚・紅染絹200疋・白絹100疋を献上し、家康に対面する。家康は利光に太刀(銘 守家)・脇差(銘 長光)を賜う。
本多正純
が下賜物を伝達する。利光の家臣である
奥村栄明
・
奥村栄頼
が家康と対面する。服を献上する。
夜、家康が利光に継目の朱印状を発給する。正純、
土井利勝
が利光のもとに持参する。
家康が利光に、17日朝に
徳川秀忠
のもとに戻るよう命じる。
出典:『駿府記』同年月日条
元和2年 1616年 4月17日
徳川家康
が死去する。
出典:-
元和6年 1620年 5月20日
兄・
栄明
が死去する。
出典:-
寛永8年 1631年 4月4日
奥村栄頼
が京都(山城国)にて死去する。
出典:-
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