人 物 史

日野内光 ひの うちみつ
生 没 年延徳1年(1489)-大永7年(1527)2/13
出 身-幼 名-
別 称高光、澄光
法 名-
戒 名後広寿院花谷道栄
徳大寺実淳
日野政資[養父]
源教春の娘
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
日野晴光
官 位左大弁、越中守、権中納言、権大納言
氏 族 門 流-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる日野内光の呼称
日野内光 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
延徳1年1489--1日野内光が生まれる。-
永正18年15217133左大弁となる。『系図纂要』「日野」
大永2年152231934越中守となる。『系図纂要』「日野」
大永3年15233535権中納言となる。『系図纂要』「日野」
大永3年152310935正三位に叙される。『系図纂要』「日野」
大永6年152621638足利義晴が石清水八幡宮に参詣する。細川高国が男山山上を、畠山稙長が義晴の宿院・善法寺を警固する。義晴の参詣にあたり、聖護院道増、広橋守光、烏丸光康、高倉永家、日野内光、賀茂在富、白川雅業、土御門有春、細川澄賢、畠山稙成、朽木稙綱伊勢貞孝、伊勢備中守、結城左近将監、飯川能登守、蜷川式部少輔、能勢弥太郎、西郡四郎、上野民部大輔、小林五郎、三上大蔵、松田丹後守が供奉する。『陰徳太平記』巻6「石清水八幡宮造営付義晴将軍御社参之事」
大永6年152691938権大納言となる。『系図纂要』「日野」
大永7年152721339千咒寺の合戦で足利義晴細川道永・武田元光と柳本賢治、三好勝長、三好政長が戦い、賢治が勝利する。義晴方は多くの戦死者を出し、日野内光が戦死する。『北野社家日記』同年月日条、『陰徳太平記』巻6「城州桂川合戦之事」
永禄2年1559211-贈左大臣となる。『系図纂要』「日野」
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