人 物 史

柳本賢治 やなぎもと かたはる
生 没 年?-享禄3年(1530)6/29
出 身-幼 名-
別 称-
法 名-
戒 名-
波多野秀長-
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
-
官 位弾正忠
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
柳本賢治 年表
- -年 -月-日 
柳本賢治が生まれる。
出典:-

大永6年 1526年 7月13日 
細川道永が重臣・香西元盛を殺害する。
出典:『陰徳太平記』巻6「丹州神尾寺八上両城合戦付摂州吹田合戦之事」

大永6年 1526年 10月-日 
香西元盛が細川道永に殺害されたことを受け、元盛の兄・波多野元清と同弟・柳本賢治が道永に対し蜂起する。
出典:『陰徳太平記』巻6「丹州神尾寺八上両城合戦付摂州吹田合戦之事」

大永6年 1526年 11月13日 
細川道永が波多野元清・柳本賢治を討つため、細川尹賢、内藤弾正忠、長塩民部丞、奈良修理亮、薬師寺九郎左衛門、薬師寺与次、波々伯部兵庫助、波々伯部三郎左衛門、荒木大蔵等が率いる軍勢を遣わす。
出典:『陰徳太平記』巻6「丹州神尾寺八上両城合戦付摂州吹田合戦之事」

大永6年 1526年 11月18日 
細川尹賢、内藤弾正忠、長塩民部丞、奈良修理亮、薬師寺九郎左衛門、薬師寺与次、波々伯部兵庫助、波々伯部三郎左衛門、荒木大蔵等の率いる軍勢が柳本賢治の籠る神尾寺を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻6「丹州神尾寺八上両城合戦付摂州吹田合戦之事」

大永6年 1526年 11月23日 
神尾寺に籠城する柳本賢治が、同城を攻囲中の長塩民部丞の陣所に夜襲をかける。
出典:『陰徳太平記』巻6「丹州神尾寺八上両城合戦付摂州吹田合戦之事」

大永6年 1526年 12月1日 
細川尹賢、内藤弾正忠、長塩民部丞、奈良修理亮、薬師寺九郎左衛門、薬師寺与次、波々伯部兵庫助、波々伯部三郎左衛門、荒木大蔵等の率いる軍勢が神尾寺より京都に撤退する。
出典:『陰徳太平記』巻6「丹州神尾寺八上両城合戦付摂州吹田合戦之事」

大永6年 1526年 12月13日 
細川晴元勢の先陣として、細川典厩、細川和泉守、三好勝時、三好勝長、三好政長に着岸する。
出典:『陰徳太平記』巻6「城州桂川合戦之事」

大永7年 1527年 1月27日 
夜、丹波より柳本賢治が上洛するとの噂が京都で飛び交い、細川道永が賢治に応戦するべく西岡(山城国)に軍勢を遣わす。
出典:『言継卿記』同年月28日条

大永7年 1527年 2月3日 
柳本賢治が西岡野田城(山城国)を落とし、西岡10ヶ所および西院(山城国)を焼く。細川道永は北野経王堂、北野社松梅院に布陣する。夜、高国は愛宕山に篝火を焚く。
出典:『言継卿記』同年月日条

大永7年 1527年 2月9日 
三好勝長、三好政長柳本賢治と合流するべくを発つ。
出典:『陰徳太平記』巻6「城州桂川合戦之事」

大永7年 1527年 2月11日 
三好勝長、三好政長山崎(山城国)に到着し、柳本賢治と合流する。
出典:『陰徳太平記』巻6「城州桂川合戦之事」

大永7年 1527年 2月12日 
足利義晴柳本賢治討伐のため水干、立烏帽子のいで立ちで出陣する。御供衆として大舘、細川昌勝、伊勢貞忠が随従する。義晴は本圀寺に陣取る。細川道永、武田元光も出陣する。高国は軍勢10000を率い、桂川に布陣。桂川にて賢治と戦う。
出典:『北野社家日記』同年月日条、『厳助往年記』同年月日条

大永7年 1527年 2月13日 
千咒寺の合戦で足利義晴細川道永・武田元光と柳本賢治、三好勝長、三好政長が戦い、賢治が勝利する。義晴方は多くの戦死者を出し、日野内光が戦死する。
出典:『北野社家日記』同年月日条、『陰徳太平記』巻6「城州桂川合戦之事」

大永7年 1527年 2月14日 
足利義晴細川道永・武田元光が坂本(近江国)に退く。
出典:『北野社家日記』同年月日条

大永7年 1527年 2月16日 
柳本賢治が上洛する。
出典:『北野社家日記』同年月日条

大永7年 1527年 10月28日 
三好元長伊丹城(摂津国)攻めを止め、細川道永を討つべく京に向かう。
出典:『細川両家記』、『陰徳太平記』巻6「城州川勝寺村合戦ノ事」

大永7年 1527年 10月29日 
川勝寺にて畠山義堯・遊佐河内守と朝倉宗滴が戦う。
出典:『陰徳太平記』巻6「城州川勝寺村合戦ノ事」

大永7年 1527年 11月17日 
三好元長、波多野稙通、赤井、柳本賢治が長坂口より足利義晴の陣所に攻め入る。元長、賢治、赤井は本圀寺に陣取り、東寺への通路を塞ぐ。稙通は本能寺に陣取る。
出典:『言継卿記』・『厳助大僧正記』同年月日条

大永7年 1527年 12月14日 
下京にて細川道永勢と三好元長柳本賢治勢が戦う。
出典:『言継卿記』同年月日条

大永8年 1528年 1月21日 
六角定頼三好元長細川晴元細川道永の和睦を取りまとめる。
出典:『細川両家記』

享禄2年 1529年 1月1日 
山崎(山城国)にて柳本賢治と伊丹弥三郎が戦い、賢治が弥三郎を討ち取る。
出典:『細川両家記』

享禄2年 1529年 1月10日 
柳本賢治の一門の者が一条氏の領する土地に地子を徴収するといって討ち入る。これを受け、行願寺の鐘が撞かれる。
出典:『言継卿記』同年月日条

享禄2年 1529年 3月16日 
柳本賢治が供御料所の丹波国桐野・河内村の旱魃にともない先例にのっとり、洛中洛外の米屋に供御米を進納するよう上京下京米屋当座中に命じる。
出典:(享禄2年)3月16日付柳本賢治書状案(『蜷川家文書』3巻-502号)

享禄2年 1529年 8月16日 
柳本賢治、高畠、可竹軒が伊丹城(摂津国)を攻める。伊丹元扶が戦死する。
出典:『細川両家記』

享禄2年 1529年 11月21日 
柳本賢治、高畠、可竹軒が伊丹城(摂津国)を落とす。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条、『細川両家記』

享禄3年 1530年 6月29日 
柳本賢治が依藤城(播磨国)攻めの最中、家中の謀叛に遭い死去する。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条、『細川両家記』、『陰徳太平記』巻7「播州依藤城攻並浦上陥諸城事」

人物リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.