人 物 史

畠山稙長 はたけやま たねなが
生 没 年永正1年(1504)-天文14年(1545)5/15
出 身-幼 名-
別 称次郎
法 名-
戒 名大和寺殿覚源悟公
畠山尚順-
兄 弟 姉 妹畠山稙長、畠山長経、畠山政国、畠山晴熙、畠山晴国、畠山基信、細川晴宣
配 偶 者-
-
官 位尾張守
役 職河内国守護、紀伊国守護、越中国守護
城 郭高屋城(河内国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる畠山稙長の呼称
畠山稙長 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
永正1年1504--1畠山稙長が生まれる。-
大永6年152621623足利義晴が石清水八幡宮に参詣する。細川高国が男山山上を、畠山稙長が義晴の宿院・善法寺を警固する。義晴の参詣にあたり、聖護院道増、広橋守光、烏丸光康、高倉永家、日野内光、賀茂在富、白川雅業、土御門有春、細川澄賢、畠山稙成、朽木稙綱伊勢貞孝、伊勢備中守、結城左近将監、飯川能登守、蜷川式部少輔、能勢弥太郎、西郡四郎、上野民部大輔、小林五郎、三上大蔵、松田丹後守が供奉する。『陰徳太平記』巻6「石清水八幡宮造営付義晴将軍御社参之事」
天文11年154222039畠山稙長、丹下備後より畠山弥九郎との和睦は難しいこと、御内書の発給を忝く思うことを伝える書状が大舘常興に届く。『大舘常興日記』同年月日条
天文11年15423839遊佐長教が高屋(河内国)にて長政の弟・中務の父である斎藤山城守を殺害する。
13日に畠山稙長が紀伊国より熊野衆の龍神・山本・玉木・湯川・アイソ・一瀬、根来寺衆、高野山粉河寺衆の計30000を率いて河内国に入国するとの噂が京都、奈良にて流れる。
『多聞院日記』同年月日条、『大舘常興日記』同年月日条
天文11年15423939遊佐長教が斎藤山城守を殺害したことが幕府に伝わる。『蜷川親俊日記』同年月21日条
天文11年154231039畠山稙長に稙長出陣の旨を賞する御内書の発給につき、大舘晴光が父・常興に案文を求め、案文を得る。『大舘常興日記』同年月日条
天文11年1542閏31839畠山稙長より礼として遊佐蔵人が伊勢貞孝のもとを訪れる。『蜷川親俊日記』同年月日条
天文14年154551542畠山稙長が死去する。『厳助往年記』同年月条
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