人 物 史

逸見義次 へんみ よしつぐ
生 没 年天文16年(1547)-文禄3年(1594)9/13
出 身-幼 名-
別 称小四郎左衛門
法 名伝永
戒 名-
逸見義久猪俣能登守の娘
兄 弟 姉 妹逸見義次
配 偶 者富永下総守の娘
逸見義助、逸見忠助、逸見義記
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第1輯 刊本
関 連 デ ー タ-
逸見義次 年表
天文16年 1547年 -月-日 1歳
逸見義次が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第138「逸見義次」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第138「逸見義次」の項

天文23年 1554年 -月-日 8歳
逸見義久北条氏康に属する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第138「逸見義久」の項

天文23年 1554年 -月-日 8歳
広木の合戦にて父・逸見義久が戦死する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第138「逸見義久」の項

弘治1年 1555年 10月23日 9歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 12歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄12年 1569年 10月4日 23歳
武田信玄北条氏康北条氏政父子の籠る小田原城(相模国)の攻略を諦め、同地より撤退する。
出典:(永禄12年)10月16日付北条氏康書状(『上杉家文書』1-585号)

永禄12年 1569年 10月8日 23歳
三増峠(相模国)にて武田信玄北条氏照・氏邦・綱成等が戦い、信玄が勝利する。
武田勢:山高信親
出典:『寛政重修諸家譜』巻第161「山高信親」の項

元亀1年 1570年 4月23日 24歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀2年 1571年 10月3日 25歳
北条氏康が死去する。
出典:『早雲寺過去帳』

天正1年 1573年 7月28日 27歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正10年 1582年 6月19日 36歳
神流川(上野国)にて滝川一益北条氏直が戦い、氏直が勝利する。一益は厩橋城(上野国)に帰城する。
出典:-

天正18年 1590年 3月1日 44歳
豊臣秀吉北条氏政氏直父子を討伐するため京都を出陣する。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正18年 1590年 4月1日 44歳
豊臣秀吉が箱根山(相模国)に陣取る。小田原城(相模国)を包囲する。豊臣勢:池田輝政
出典:(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)

天正18年 1590年 7月6日 44歳
北条氏政氏直父子が豊臣秀吉に降伏する。脇坂安治片桐且元榊原康政小田原城(相模国)に赴き、城を請け取る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正18年 1590年 7月12日 44歳
北条氏政北条氏照・笠原新六郎・大道寺政繁が切腹する。検使は榊原康政
出典:『太閤さま軍記のうち』、『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

文禄1年 1592年 12月8日 46歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

文禄3年 1594年 9月13日 48歳
逸見義次が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第138「逸見義次」の項

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