人 物 史

北条氏直 ほうじょう うじなお
生 没 年永禄5年(1562)-天正19年(1591)11/4
出 身相模国小田原幼 名国王丸
別 称新九郎、見性斎
法 名-
戒 名松巌院太円宗徹
北条氏政黄梅院(武田信玄の娘)
兄 弟 姉 妹北条氏直、太田源五郎、太田氏房、千葉直重、北条直定、女(千葉邦胤の妻)
配 偶 者督(徳川家康の娘)
万、摩尼珠院、北条氏盛[養子]
官 位左京大夫
役 職-
城 郭小田原城(相模国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ北条氏直の関連文化財
北条氏直の家臣
北条氏直 年表
永禄5年 1562年 -月-日 1歳
北条氏直が生まれる。
出典:-

永禄12年 1569年 10月8日 8歳
三増峠(相模国)にて武田信玄北条氏照・氏邦・綱成等が戦い、信玄が勝利する。
武田勢:山高信親
出典:『寛政重修諸家譜』巻第161「山高信親」の項

元亀1年 1570年 4月23日 9歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀2年 1571年 10月3日 10歳
祖父・氏康が死去する。
出典:『早雲寺過去帳』

元亀4年 1573年 4月12日 12歳
武田信玄が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第145「武田晴信」の項

天正1年 1573年 7月28日 12歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正7年 1579年 3月24日 18歳
上杉景勝上杉景虎の籠る鮫尾城(越後国)を攻める。景虎は切腹する。
出典:(天正7年)3月24日付上杉景虎書状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』1800号)

天正10年 1582年 3月11日 21歳
織田信忠が甲斐国にて武田勝頼の所在を捜索し、所在地を突き止めた滝川一益が勝頼を包囲する。勝頼・信勝父子は天目山にて自害し、勝頼に随従していた長坂釣竿斎、秋山親久、小原下総守、小原丹後守、跡部尾張守、安部加賀守、土屋昌恒も自害する。
出典:『晴豊記』同年月22日条、『言経卿記』同年月20日条、『信長公記』巻15(10)「武田四郎父子生害の事」

天正10年 1582年 3月25日 21歳
滝川一益が小幡信貞とともに給地の上野国に赴く。
出典:『信長公記』巻15(17)「諸卒に御扶持米下さるるの事」

天正10年 1582年 6月18日 21歳
岩窪(甲斐国)にて、武田家旧臣が川尻秀隆を襲撃し、三井弥一郎が秀隆を討ち取る。
出典:-

天正10年 1582年 6月19日 21歳
神流川(上野国)にて滝川一益北条氏直が戦い、氏直が勝利する。一益は厩橋城(上野国)に帰城する。
出典:-

天正10年 1582年 6月24日 21歳
上杉景勝が長沼城(信濃国)に入る。
出典:-

天正10年 1582年 7月12日 21歳
川中島(信濃国)にて上杉景勝北条氏直が対峙する。
出典:-

天正10年 1582年 7月9日 21歳
徳川家康が府中(甲斐国)に到着する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第29「松平家忠」の項

天正10年 1582年 8月6日 21歳
北条氏直が武川衆を徳川家康より引き抜くべく、中沢縫殿右衛門・中沢新兵衛を折井次昌のもとに遣わすが、次昌は勧誘を拒み、縫殿右衛門・新兵衛を討ち取り、家康に献じる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第166「折井次昌」の項

天正10年 1582年 8月12日 21歳
上口山(甲斐国)にて北条氏忠と鳥居元忠・水野勝成・松平清宗・三宅康貞が戦い、鳥居等が勝利する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第21「松平清宗」の項

天正10年 1582年 8月27日 21歳
北条氏直方の豆生田砦を徳川家康勢の榊原康政大須賀康高が攻める。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正10年 1582年 10月29日 21歳
徳川家康北条氏直が和睦する。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正11年 1583年 -月-日 22歳
徳川家康の娘・北条氏直にもとに嫁ぐ。介添えは酒井忠次秋鹿政朝が供奉する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第65「酒井忠次」の項、同965「秋鹿政朝」の項

天正12年 1584年 1月13日 23歳
北條氏直小田原城(相模国)修築のため、同国千津島に人夫を課す。
出典:『相州文書』同年月日条

天正13年 1585年 3月7日 24歳
北條氏直小田原城(相模国)修築のため、相模怒田・伊豆桑原に人夫を課す。
出典:『相州文書』同年月日条

天正13年 1585年 10月1日 24歳
北條氏直小田原城(相模国)修築のため、同国三田に人夫を課す。
出典:『相州文書』同年月日条

天正17年 1589年 7月21日 28歳
真田昌幸が領有する沼田城(上野国)を北条氏直に引き渡すべく、榊原康政富田信広、津田信勝が沼田城に赴く。沼田城が氏直に引き渡された後、氏直は上洛し豊臣秀吉に礼をすることになっているという。
出典:『家忠日記』同年月日条

天正17年 1589年 10月10日 28歳
豊臣秀吉が諸国に、来年3月、北条氏政を成敗するべく出陣するので、軍役として五畿内衆は半役、中国衆は4人役、四国以東尾張以西衆は6人役、北国は6人半役、遠江国・三河国・駿河国・甲斐国・信濃国は7人役を供出するようと命じる。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第12「来春関東陣御軍役之事」

天正18年 1590年 1月5日 29歳
北條氏直小田原城(相模国)修築のため、武蔵鴨井村の百姓に人夫を課す。
出典:『武州文書』同年月日条

天正18年 1590年 1月21日 29歳
北條氏直建長寺(相模国)に蓄えている糧米を小田原城(相模国)に運ぶよう命じる。
出典:『武州文書』同年月日条

天正18年 1590年 2月10日 29歳
徳川家康豊臣秀吉小田原城(相模国)攻めにつき駿府城(駿河国)を出立し、賀島(駿河国)に到着する。
徳川家康勢:渥美友勝、保科正直、保科正光、青木信時柳沢信俊、山高信直、折井次昌加藤正次秋鹿直朝鈴木信光小尾祐光津金胤久跡部久次酒依昌吉
出典:『家忠日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第174「酒依昌吉」の項、同965「秋鹿直朝」の項、同1156「鈴木信光」の項

天正18年 1590年 3月1日 29歳
豊臣秀吉北条氏政氏直父子を討伐するため京都を出陣する。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正18年 1590年 3月29日 29歳
豊臣秀吉が箱根山に着陣する。
出典:(天正18年)3月29日付豊臣秀吉朱印状(「三英傑と名古屋」展実行委員会編『三英傑と名古屋』2014年10月)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)、韮山城取巻人数書(『毛利家文書』4-1560号)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)『黒田家譜』巻5「孝高記」、『太閤さま軍記のうち』

天正18年 1590年 3月29日 29歳
豊臣秀次が松田康長が籠る山中城(伊豆国)攻め、同城を落とす。
豊臣勢:豊臣秀次[大将]、中村一氏[先陣]、一柳直末[先陣](戦死)、渡辺了[中村一氏勢]、薮内匠[中村一氏勢]。
北条勢:松田康長[大将](戦死)。
出典:(天正18年)3月29日付豊臣秀吉朱印状(「三英傑と名古屋」展実行委員会編『三英傑と名古屋』2014年10月)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)、韮山城取巻人数書(『毛利家文書』4-1560号)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)『黒田家譜』巻5「孝高記」、『太閤さま軍記のうち』

天正18年 1590年 3月29日 29歳
豊臣勢が韮山城(伊豆国)を包囲する。
豊臣勢[44100]:織田信雄[軍勢17000]、織田信包[軍勢3200]、蒲生氏郷[軍勢4000]、稲葉貞通[軍勢1200]、細川忠興[軍勢2700]、森忠政[軍勢2100]、中川秀政[軍勢2000]、山崎・岡本良勝[軍勢2200]、筒井定次[軍勢1500]、生駒親正[軍勢2200]、蜂須賀家政[軍勢2500]、福島正則[軍勢1800]、戸田勝隆[軍勢1700]。
北条勢:富田直久(戦死)。
出典:(天正18年)3月29日付豊臣秀吉朱印状(「三英傑と名古屋」展実行委員会編『三英傑と名古屋』2014年10月)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)、韮山城取巻人数書(『毛利家文書』4-1560号)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)『黒田家譜』巻5「孝高記」、『太閤さま軍記のうち』

天正18年 1590年 4月1日 29歳
豊臣秀吉が箱根山(相模国)に陣取る。小田原城(相模国)を包囲する。豊臣勢:池田輝政
出典:(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)

天正18年 1590年 6月17日 29歳
松田憲秀の豊臣秀吉への内通が発覚する。
出典:『天正日記』同年月日条

天正18年 1590年 6月24日 29歳
豊臣秀吉が、小田原城(相模国)に籠城している北条氏政氏直父子に降伏を促すため、同城に黒田如水滝川雄利を遣わす。
出典:『天正日記』同年月日条

天正18年 1590年 7月6日 29歳
北条氏政氏直父子が豊臣秀吉に降伏する。脇坂安治片桐且元榊原康政小田原城(相模国)に赴き、城を請け取る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正18年 1590年 7月12日 29歳
北条氏政北条氏照・笠原新六郎・大道寺政繁が切腹する。検使は榊原康政
出典:『太閤さま軍記のうち』、『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正19年 1591年 11月4日 30歳
北条氏直が死去する。
出典:-

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