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軍役から石高算出
人 物 史
細川定禅
ほそかわ じょうぜん
生 没 年
?-?
出 身
-
幼 名
-
別 称
-
法 名
-
戒 名
-
父
細川頼貞
母
-
兄 弟 姉 妹
細川顕氏、細川直俊、
細川定禅
、細川皇海
配 偶 者
-
子
-
官 位
宮内卿律師、権少僧都
役 職
鶴岡若宮別当
土佐国守護
城 郭
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
○
細川定禅の関連文化財
細川定禅 年表
- -年 -月-日
細川定禅
が生まれる。
出典:-
正慶2年 1333年 4月27日
足利高氏
が船上山(伯耆国)で挙兵した
後醍醐天皇
を討つため京都を発つ。篠村(丹波国)に陣を張る。これより幕府を裏切り
後醍醐天皇
方となる。
出典:『梅松論』、『関城書裏書』
正慶2年 1333年 5月22日
新田義貞
が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。
北条高時
、
北条基時
が自害する。
出典:『関城書裏書』
元弘3年 1333年 6月7日
後醍醐天皇
が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。
出典:『関城書裏書』
建武2年 1335年 7月-日
信濃国で蜂起した北条時行が鎌倉(相模国)に攻め込む。
成良親王
、
足利直義
は応戦するも支えきれず鎌倉を退く。
成良親王
は大江時古に抱えらえ帰洛する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
建武2年 1335年 8月2日
北条時行に攻められた
足利直義
を救うため
足利尊氏
が出京する。近江国野路に到着する。
出典:『関城書裏書』、足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号
建武2年 1335年 8月17日
箱根(相模国)にて
足利尊氏
と北条時行勢が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号
建武2年 1335年 8月18日
相模川の合戦で
足利尊氏
と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号
建武2年 1335年 8月19日
足利尊氏
が鎌倉(相模国)に到着する。辻堂・片瀬原の合戦で
足利尊氏
と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号
建武2年 1335年 12月13日
箱根・竹ノ下の合戦で
足利尊氏
と尊良親王・
新田義貞
が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上
建武3年 1336年 2月13日
桜山にて
足利尊氏
・
足利直義
兄弟と
新田義貞
・
北畠顕家
・
楠木正成
が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之上
延元1年 1336年 5月25日
湊川(摂津国)にて
足利尊氏
と
新田義貞
が戦い、尊氏が勝利する。
楠木正成
が戦死する。
出典:-
延元1年 1336年 5月27日
後醍醐天皇
が
延暦寺
に行幸する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条
延元1年 1336年 6月-日
足利尊氏
が
延暦寺
に籠る
後醍醐天皇
を攻める。
出典:『桜雲記』巻之上
延元1年 1336年 10月10日
後醍醐天皇
が
延暦寺
より京都に還幸する。帝位を
恒良親王
に譲位する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条
暦応2年・延元4年 1339年 8月16日
後醍醐天皇
が崩御する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条
- -年 -月-日
細川定禅
が死去する。
出典:-
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