城 郭 史

洲本城(淡路国) すもとじょう
築 城 年-
築 城 者-
改 築 年-
改 築 者-
廃 城 年-
別 称-
現 所 在 地〒656-0023
兵庫県洲本市小路谷1272
史 料 地 名-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ洲本城(淡路国)の関連文化財
リ ン ク仙石秀久稲田示植稲田植次
洲本城 年表
和暦 西暦 事項 出典
永禄3年156048洲本(淡路国)にて、不和となっていた三好長慶三好之虎が会見する。之虎は出家し物外軒実休と号す。『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」
天正9年15811118羽柴秀吉淡路国に侵攻し所々を放火する。洲本城(淡路国)に攻め入るが安宅神五郎が懇望し人質を差し出してきたので和睦する。また野口長宗にもとの在所である三原の古城普請を命じる。天正9年11月22日付桑山修理亮宛書状(『豊臣秀吉文書集』1巻-357号)
天正10年158269午刻(11:00-13:00)、羽柴秀吉が明石(播磨国)に入る。
織田信孝に書状を遣わし、明石に入った旨を伝えるとともに、洲本城淡路国)に菅達長が入り蜂起したため、その討伐を10日にするので、11日に尼崎(摂津国)に入る旨を伝える。
洲本城に入城した菅達長の対処すべく、広田内蔵丞に、10日に明石から渡海し、洲本城を攻めるので参陣を促す。
船越景直を使者として遣わしてきた安宅信康に返書を出す。信康が菅達長の籠る洲本城を攻撃したことを賞し、もし達長が退城したならば報告するようにと伝える。また、10日に岩屋城まで渡海することを伝え、高田長左衛門を岩屋城(淡路国)の本丸に置くようにと指示する。
天正10年6月9日付羽柴秀吉書状(『豊臣秀吉文書集』1巻-427号)、天正10年6月9日付羽柴秀吉書状(『豊臣秀吉文書集』1巻-428号)、天正10年6月9日付羽柴秀吉書状(『豊臣秀吉文書集』1巻-429号)
天正13年158573長宗我部元親の対治のため羽柴秀吉が洲本(淡路国)に着陣する。『宇野主水記』同年月日条
天正13年158510-羽柴秀吉脇坂安治に洲本(淡路国)30000石を給付する。脇坂家伝記
慶長14年16099-徳川家康が脇坂安治に伊予国喜多郡・浮穴郡・風早郡の53000石を給付する。脇坂家伝記
慶長20年1615閏63徳川秀忠蜂須賀至鎮淡路国を給付する。『駿府記』同年月日条
元和6年1620226蜂須賀至鎮が死去する。-
寛永5年1628818稲田植元が脇城(阿波国)にて死去する。-
寛永15年16381230蜂須賀家政が死去する。-
慶安3年1650312稲田示植が死去する。-
慶安5年1652323稲田植次が死去する。-
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