歴史の目的をめぐって
TОP
歴史
人 物 史
城 郭 史
寺 院 史
神 社 史
地 名
総 年 表
資料
文化財
商用利用可能 文化財画像
書籍
コンテンツ
和暦西暦変換
中世貨幣の価値
年齢計算
誕生年計算
寛政重修諸家譜 索引(製作中)
史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
城 郭 史
韮山城(伊豆国)
にらやまじょう
築 城 年
-
築 城 者
-
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
-
別 称
-
現 所 在 地
〒410-2143
静岡県伊豆の国市韮山438−3
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
北条早雲
韮山城(伊豆国) 年表
永正16年 1519年 8月15日
韮山城
(伊豆国)にて
北条早雲
が死去する。
出典:『関八州古戦録』巻1「北条早雲庵父子附氏綱菩提所建立之事」
元亀2年 1571年 10月3日
北条氏康
が死去する。
出典:『早雲寺過去帳』
天正18年 1590年 3月1日
豊臣秀吉
が
北条氏政
・
氏直
父子を討伐するため京都を出陣する。
出典:『北野社家日記』同年月日条
天正18年 1590年 3月29日
豊臣秀吉
が箱根山に着陣する。
出典:(天正18年)3月29日付豊臣秀吉朱印状(「三英傑と名古屋」展実行委員会編『三英傑と名古屋』2014年10月)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)、韮山城取巻人数書(『毛利家文書』4-1560号)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)『黒田家譜』巻5「孝高記」、『太閤さま軍記のうち』
天正18年 1590年 3月29日
豊臣秀次
が松田康長が籠る
山中城
(伊豆国)攻め、同城を落とす。
豊臣勢:豊臣秀次[大将]、
中村一氏
[先陣]、
一柳直末
[先陣](戦死)、
渡辺了
[中村一氏勢]、薮内匠[中村一氏勢]。
北条勢:松田康長[大将](戦死)。
出典:(天正18年)3月29日付豊臣秀吉朱印状(「三英傑と名古屋」展実行委員会編『三英傑と名古屋』2014年10月)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)、韮山城取巻人数書(『毛利家文書』4-1560号)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)『黒田家譜』巻5「孝高記」、『太閤さま軍記のうち』
天正18年 1590年 3月29日
豊臣勢が
韮山城
(伊豆国)を包囲する。
豊臣勢[44100]:
織田信雄
[軍勢17000]、
織田信包
[軍勢3200]、
蒲生氏郷
[軍勢4000]、
稲葉貞通
[軍勢1200]、
細川忠興
[軍勢2700]、
森忠政
[軍勢2100]、
中川秀政
[軍勢2000]、山崎・岡本良勝[軍勢2200]、筒井定次[軍勢1500]、
生駒親正
[軍勢2200]、
蜂須賀家政
[軍勢2500]、
福島正則
[軍勢1800]、戸田勝隆[軍勢1700]。
北条勢:
富田直久
(戦死)。
出典:(天正18年)3月29日付豊臣秀吉朱印状(「三英傑と名古屋」展実行委員会編『三英傑と名古屋』2014年10月)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)、韮山城取巻人数書(『毛利家文書』4-1560号)、(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)『黒田家譜』巻5「孝高記」、『太閤さま軍記のうち』
城郭リストに戻る
Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.