寺 院 史

真如堂(山城国) しんにょどう
本 尊阿弥陀如来
創 建永観2年 984年
開 基戒算
山 号鈴聲山
宗 派天台宗
別 称-
関連宗教施設-
現 所 在 地〒606-8414
京都府京都市左京区浄土寺真如町82
旧 所 在 地-
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク-
真如堂(山城国) 年表
文明10年 1478年 3月26日 
真如堂の梵鐘鋳造が行われる。
出典:『言国卿記』同年月日条

天文1年 1532年 9月24日 
真如堂の本尊である阿弥陀如来が開帳される。青蓮院尊鎮三条公頼、万里小路季房、公誉、高倉範久真如堂に参詣する。
出典:『二水記』同年月日条

天文7年 1538年 2月20日 
蜷川親俊が真如堂に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 2月23日 
蜷川親俊が真如堂に参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 4月8日 
真如堂の本尊を開帳する。蜷川親俊が開帳された本尊を見物する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文7年 1538年 10月20日 
真如堂にて念仏を始める。例年は15日に開始であったが、本年は物騒につき20日より始める。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文8年 1539年 4月15日 
真如堂にて頓写が行われる。蜷川親俊が参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文8年 1539年 8月7日 
黒谷の真如堂に蜷川親俊、三上越前守が参詣する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文11年 1542年 4月7日 
真如堂にて開帳円頓戒が催される。戒師は知恩院長老。後柏原院の17回忌につき青蓮院尊鎮が真如堂を訪れる。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文11年 1542年 10月17日 
蜷川親俊が真如堂を訪れる。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文11年 1542年 10月22日 
真如堂にて円頓戒が行われる。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文21年 1552年 3月27日 
伊勢貞孝が自邸にて真如堂勧進のため観世大夫による猿楽を催す。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄10年 1567年 2月10日 
真如堂において、光源院(義輝)の菩提を弔うため、「京辺土」、池田勝正、坂本衆により六斎念仏大施餓鬼を催す。鉦鼓衆は約2800人。70000-80000人もの人々が集まったという。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄12年 1569年 1月26日 
織田信長が、足利義輝が戦死した御所(武衛御所)に、足利義昭の御殿を建立することを、同地に建立されていた真如堂蓮光院に伝える。真如堂には替地として一条の西の地(広さ4丁町)の寄進と所領の安堵、さらには西岡(山城国)のうち知徳庵、知徳庵道場分を新たに寄進、課役の賦課と寄宿停止を伝える。
出典:永禄12年1月26日付織田信長朱印状(「真正極楽寺文書」『織田信長文書の研究』上巻147号)

永禄13年 1570年 3月20日 
真如堂が「荒ハテタ」状態で、「東山殿ノ御旧跡名ノミ」であばら家の民家に交じって1宇のみ存在しているという。
出典:『多聞院日記』同年月日条

元亀2年 1571年 4月11日 
山科言継真如堂の仏殿の作事を見物する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天正7年 1579年 6月12日 
山科言経真如堂に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 2月23日 
山科言経が、彼岸につき花開院に赴き、その後、誓願寺真如堂、阿弥陀寺に参詣する。
出典:『言経卿記』同年月日条

慶長2年 1597年 2月17日 
真如堂において尊朝の葬儀が執り行われる。
出典:『義演准后日記』同年月日条

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