神 社 史

熱田神宮(尾張国) あつたじんぐう
祭 神熱田大神
創 建景行天皇43年[伝]
別 称熱田社
関連宗教施設-
現 所 在 地〒456-8585
愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
旧 所 在 地-
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
リ ン ク熱田神宮の関連文化財
熱田神宮(尾張国) 年表
天文18年 1549年 11月-日 
織田信長が熱田八ヶ村中に熱田社造営のため人別銭は熱田社へ納めるので国並みの棟別や他所・他国の勧進への奉加供出はしないこと、罪人を報告しない者は処罰すること、熱田社の法を守り他国や尾張国の敵味方・奉公人、足弱、預け物を取り調べることはしないこと、熱田社への参詣に対し路次において関銭の徴収等をしないこと、熱田社への使者役について負担に応じない者は譴責使を遣わすこと、俵物留めをしたとしても熱田社へは滞りなく運送するを定めた制札を発給する。
出典:天文18年11月日付織田信長判物(『増訂織田信長文書の研究 上巻』1号)

天文19年 1550年 12月23日 
笠寺別当職について、織田信長が父・信秀の判形にのっとり参銭・開帳の収取権を熱田社座主坊に安堵する。
出典:天文19年12月23日付織田信長判物(『増訂織田信長文書の研究 上巻』3号(「密蔵院文書」))

永禄3年 1560年 5月19日 
桶狭間にて織田信長今川義元を襲撃し、義元が戦死する。義元は毛利良勝が討ち取る。
織田信長勢:森可成前田利家
今川義元勢:松平宗次(戦死)、鈴木重村。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第16「松平宗次」の項、同126「森可成」の項、同1154「鈴木重村」の項

天正3年 1575年 5月12日 
武田勝頼の軍勢の先陣が熱田(尾張国)まで進んだと奈良(大和国)にて噂される。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正3年 1575年 5月13日 
遠江国に侵攻した武田勝頼に対するため、織田信長信忠とともに岐阜城(美濃国)を出陣する
信長は熱田(尾張国)に宿泊する。熱田社の造営を岡部又右衛門に命じる。
出典:『兼見卿記』同年月日条、同年月15日付織田信長朱印状(「細川家文書」『増訂織田信長文書の研究 下巻』509号)、『信長公記』巻8(4)「三州長篠御合戦の事」

天正18年 1590年 2月29日 
細川幽斎が熱田(尾張国)に陣取る。藤孝は熱田社社務惣検校宅に宿泊する。
出典:『東国陣道記』

慶長5年 1600年 9月10日 
徳川家康が熱田(尾張国)に宿泊する。
出典:『関原始末記』

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