歴史の目的をめぐって
TОP
歴史
人 物 史
城 郭 史
寺 院 史
神 社 史
地 名
総 年 表
資料
文化財
商用利用可能 文化財画像
書籍
コンテンツ
和暦西暦変換
中世貨幣の価値
年齢計算
誕生年計算
寛政重修諸家譜 索引(製作中)
史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
地 名 の 歴 史
安芸国[国]
あきのくに
初 見
-
国
安芸国
郡
沙田郡、豊田郡、沼田郡、安芸郡、佐伯郡、高宮郡、高田郡、賀茂郡、山県郡
荘 園
-
中 世 高
-
近 世 領 主
-
近 世 石 高
-
鎮 守
-
神 社
-
寺 院
-
城 郭
安芸国の城郭
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
安芸国[国] 年表
建武2年 1335年 5月-日
足利尊氏
が
厳島社
に参詣する。
出典:『桜雲記』巻之上
天文9年 1540年 6月9日
武田光和
が死去する。
出典:-
天文20年 1551年 9月1日
大内義隆
が
陶隆房
の謀叛にあい大寧寺にて自害する。
出典:『大内義隆記』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『厳助大僧正記』同年月日条、『陰徳太平記』巻19「義隆卿自害並大寧寺炎焼之事」
天文24年 1555年 10月1日
厳島(安芸国)に滞在中の
陶晴賢
を
毛利元就
が急襲し、晴賢は自害する。
出典:『言延覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年)、『二宮佐渡覚書』(米原正義校注『第二期 戦国史料叢書 7 中国史料集』人物往来社、1966年 所収)、『陰徳太平記』巻27「毛利元就厳島渡海付同所合戦事」、同巻28「陶全羨最後之事」
永禄6年 1563年 8月4日
毛利隆元
が佐々部(安芸国)にて死去する。
出典:『桂岌円覚書』
天正14年 1586年 11月15日
吉川元春
が小倉(豊前国)にて死去する。
出典:『黒田家譜』巻3「孝高記」
慶長5年 1600年 10月5日
徳川家康
が
毛利輝元
の領国について周防国・長門国以外の所領を没収する。
出典:『関原始末記』
元和5年 1619年 6月23日
徳川秀忠
が
福島正則
の所領を没収したため、
広島城
(安芸国)の城引き取りのため
永井直勝
、
安藤重信
、
加藤嘉明
等が同城に赴く。
出典:『微妙公御夜話』、『寛政重修諸家譜』巻第773「加藤嘉明」の項
寛永9年 1632年 9月3日
浅野長晟
が死去する。
出典:-
地名リストに戻る
Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.