地 名 の 歴 史

初 見-
豊前国
下毛郡
荘 園-
中 世 高-
近 世 領 主-
近 世 石 高-
鎮 守-
神 社-
寺 院-
城 郭中津城
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
中津(豊前国) 年表
天正16年 1588年 4月20日 
黒田長政城井鎮房中津城(豊前国)に招き殺害する。
出典:-

慶長5年 1600年 7月23日 
黒田如水の小姓衆が中津(豊前国)に向かって大坂(摂津国)を出航する。
出典:『清正行状奇』

慶長5年 1600年 7月29日 
黒田如水の小姓衆が中津(豊前国)に到着する。
出典:『清正行状奇』

慶長5年 1600年 9月9日 
辰刻(7-9時)、黒田如水が豊後国に攻め入るべく中津城(豊前国)より出陣する。備一番は母里友信、二番は黒田直之、三番は栗山利安・黒田五郎右衛門、四番は井上之房、五番は野村市右衛門・後藤左門、六番は母里与三兵衛・時枝平大夫、七番は久野次左衛門・曽我部五右衛門・池田九郎兵衛・黒田安大夫の総勢9000余。中津城には黒田利則を、感田城(豊前国)には衣笠景延・高橋彦次郎を、馬ヶ嶽城(豊前国)には桐山信行・宮崎助大夫をを置く。如水勢は高森城にて一宿する。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」

慶長5年 1600年 11月2日 
徳川家康細川忠興に丹後国の替地として豊前国、豊後国国東郡・速見郡内の旧領・杵築の390000石を給付する。忠興は中津城(豊前国)を居城とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠興」の項

慶長5年 1600年 11月17日 
黒田長政中津城(豊前国)に帰城すべく、大坂(摂津国)を発つ。
出典:『黒田家譜』巻11「長政記」

慶長5年 1600年 11月-日 
黒田長政中津城(豊前国)に帰城する。
出典:『菅氏世譜

慶長14年 1609年 4月24日 
細川忠利に嫁ぐことになった徳川秀忠の養女・千代が中津城(豊前国)に到着する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠利」の項

寛永9年 1632年 10月11日 
小笠原忠真が明石(播磨国)より小倉(豊前国)150000石に、小笠原長次龍野(播磨国)より中津(豊前国)80000石に、小笠原忠知が杵築(豊後国)40000石に移封となる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第188「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠真」、同巻第189「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長次」の項、同巻第190「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原忠知」

寛永15年 1638年 1月23日 
小笠原長次が島原(肥前国)一揆鎮圧のため中津城(豊前国)を出陣する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第189「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長次」の項

寛文6年 1666年 5月29日 
小笠原長次が中津(豊前国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第189「清和源氏 義光流 小笠原」「小笠原長次」の項

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