人 物 史

有吉立行 ありよし たつゆき
生 没 年永禄1年(1558)12/11-慶長12年(1607)12/14
出 身-幼 名万助
別 称立理、四郎左衛門、四郎右衛門
法 名-
戒 名-
有吉立言-
兄 弟 姉 妹有吉立行、有吉重吉、有吉助兵衛
配 偶 者-
有吉興道、有吉英貴
官 位武蔵守
役 職-
城 郭杵築城(豊後国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ有吉立行の関連文化財
有吉立行 年表
永禄1年 1558年 12月11日 1歳
有吉立行が生まれる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 13歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀4年 1573年 7月27日 16歳
細川藤孝による岩成友通の籠る淀城(山城国)攻めに参加する。
出典:『綿考輯録』巻2

天正1年 1573年 7月28日 16歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正2年 1574年 9月18日 17歳
飯盛(河内国)の戦いに細川藤孝勢として参加する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正3年 1575年 4月17日 18歳
織田信長の新堀城攻めに参加する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正3年 1575年 4月19日 18歳
夜、織田信長が十河因幡守、香西越後が籠る新堀を攻める。香西越後、十河因幡、十河越中、十河左馬允、三木五郎大夫、藤岡五郎兵衛、東村大和、東村備後を討ち取り、新堀を落とす。
出典:『信長公記』巻8(3)「河内国新堀城攻め干され並に誉田城破却の事」、『綿考輯録』巻3

天正4年 1576年 5月7日 19歳
織田信長大坂本願寺攻めに参加する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 2月13日 20歳
織田信長が雑賀郡(紀伊国)を攻めるため、京都から出陣する。石清水八幡宮に陣を置く。総勢が『兼見卿記』では10万余、『多聞院日記』では15万余とされる。
細川藤孝忠興父子が織田信長の雑賀郡(紀伊国)攻めに加わるべく出陣する。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻10(1)「雑賀御陣の事」、『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 2月16日 20歳
細川忠興松井康之有吉立行・米田求政・志水新之丞が貝塚(和泉国)より撤退する紀伊勢を追撃する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 2月22日 20歳
長尾・淡輪の戦いに細川藤孝勢として参加する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 3月1日 20歳
織田信長の雑賀城(紀伊国)攻めに細川藤孝勢として参加する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 9月29日 20歳
細川藤孝筒井順慶明智光秀松永久秀家臣の森秀光・海老名勝正が籠る片岡城(大和国)を包囲する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 10月1日 20歳
片岡城(大和国)攻めに細川藤孝勢として参加する。細川勢のうち下津一通、池田壱岐、久下弥右衛門、纐纈藤太夫、酒井孫次郎、内藤三四郎が戦死する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正6年 1578年 9月-日 21歳
小山城攻めに細川藤孝勢として参加する。
出典:『綿考輯録』巻3

文禄1年 1592年 12月8日 35歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 39歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長3年 1598年 8月18日 41歳
豊臣秀吉が死去する。
出典:『当代記』巻3同年月日条

慶長5年 1600年 9月10日 43歳
黒田如水勢が高田城(豊後国)の竹中重信の軍勢と合流し、赤根峠に陣取る。
夜、大友義統が浜脇(豊後国)に到着する。大友勢は松井康之有吉立行の籠る杵築城(豊後国)を攻める。孝高は井上之房・久野次左衛門・野村市右衛門・後藤左門・時枝平大夫・母里与三兵衛・曽我部五右衛門・池田九郎兵衛・黒田安大夫の軍勢3000を援軍として遣す。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」

慶長5年 1600年 9月11日 43歳
黒田如水が垣見理右衛門・藤井九左衛門の籠る富来城(豊後国)を包囲する。如水は杵築城(豊後国)の救援に向かうため、同城より引き上げる。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」

慶長5年 1600年 9月12日 43歳
黒田如水が安岐城(豊後国)の近くに陣取る。如水勢と安岐城を守っていた熊谷次郎介が戦う。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」

慶長5年 1600年 9月13日 43歳
石垣原の合戦で黒田如水大友義統が戦い、如水が勝利する。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 9月15日 43歳
大友義統黒田如水に降伏する。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」

慶長5年 1600年 9月16日 43歳
黒田如水が安岐城(豊後国)を攻めるべく、同地に向かう。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」

慶長5年 1600年 9月17日 43歳
加藤清正熊本城(肥後国)に帰城することを松井康之有吉立行に伝える。
出典:『清正行状奇』

慶長5年 1600年 9月17日 43歳
黒田如水が熊谷外記の守る安岐城(豊後国)を包囲する。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」

慶長5年 1600年 9月19日 43歳
安岐城(豊後国)を守る熊谷外記が、黒田如水に降伏する。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 9月23日 43歳
黒田如水に垣見理右衛門・藤井九左衛門の守る富来城(豊後国)を攻める。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 9月24日 43歳
黒田如水に垣見理右衛門・藤井九左衛門の守る富来城(豊後国)を鉄砲にて砲撃する。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 10月2日 43歳
大垣城(美濃国)にて垣見一直が殺害されたことを伝える垣見家の使者が富来城(豊後国)を包囲中の黒田如水勢に捕縛される。如水は使者を富来城に遣わす。一直の死を知った垣見理右衛門・藤井九左衛門は富来城(豊後国)を如水に明け渡す。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 10月4日 43歳
黒田如水が富来城(豊後国)を発ち、広津山(豊前国)に陣取る。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長12年 1607年 12月14日 50歳
有吉立行が鞆(備後国)にて死去する。
出典:-

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