人 物 史

松井康之 まつい やすゆき
生 没 年天文19年(1550)11/1-慶長17年(1612)1/22
出 身山城国松井城幼 名-
別 称甚七郎、新助、胃助、猪助、甚介
法 名-
戒 名-
松井正之荒川澄宣の娘
兄 弟 姉 妹松井勝之、女(角田藤秀の妻)、女(細川輝経の妻)、松井康之、女(吉田浄勝の妻)
配 偶 者沼田光長の娘
松井興之、松井興長、娘(吉田浄珍の妻)、娘(長岡重政の妻)、松井光之[養子]
官 位佐渡守
役 職-
城 郭松倉城(丹後国)、杵築城(豊後国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ松井康之の関連文化財
松井康之 年表
天文19年 1550年 11月1日 1歳
松井康之が山城国松井城にて生まれる。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 6歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 9歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄6年 1563年 9月26日 14歳
父・広之が死去する。
出典:『綿考輯録』巻1

永禄11年 1568年 9月12日 19歳
織田信長佐久間信盛木下秀吉丹羽長秀、浅井新八に命じ箕作山城(近江国)を攻めさせ、夜、落とす。城攻めに松平信一、服部正成、明智光秀徳山則秀浅野長政細川藤孝松井康之蜂須賀正勝丹羽氏勝が参加する。
同夜、観音寺城(近江国)が自焼する。長光寺城(近江国)ほか11、12の城を落とす。
出典:『言継卿記』同年月13日条、『信長公記』巻1(4)「信長公御入洛十余日の内に五畿内隣国仰付けられ、征夷将軍に備へらるゝの事」、『綿考輯録』巻1、『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏勝」の項

元亀1年 1570年 4月23日 21歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀2年 1571年 1月6日 22歳
細川藤孝忠興・興元父子、松井康之、観世国広が吉田兼見のもとを訪れる。
出典:『兼見卿記』同年月日条

元亀4年 1573年 7月27日 24歳
細川藤孝による岩成友通の籠る淀城(山城国)攻めに参加する。
出典:『綿考輯録』巻2

天正1年 1573年 7月28日 24歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 8月-日 24歳
松井康之が沼田光長の娘を娶る。
出典:『綿考輯録』巻2

天正1年 1573年 11月-日 24歳
織田信長の命をうけた佐久間信盛三好義継の籠る若江城(河内国)を攻める。
織田信長勢:佐久間信盛[大将]、松井康之
三好義継勢:三好義継[大将]、金山武春、多羅尾右近、池田教正、野間佐吉、那須久右衛門、岡飛騨守、江川。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)、『綿考輯録』巻2

天正1年 1573年 11月-日 24歳
佐久間信盛三好義継の籠る若江城(河内国)を攻める。
織田信長勢:佐久間信盛[大将]、松井康之
三好義継勢:三好義継[大将]、金山武春、多羅尾右近、池田教正、野間佐吉、那須久右衛門、岡飛騨守、江川
義継家臣の多羅尾右近・池田教正・野間佐吉が信盛に内通し、金山武春を殺害して、若江城(河内国)城内に織田勢を引き入れる。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)

天正1年 1573年 11月16日 24歳
若江城(河内国)にて三好義継が自害する。那須久右衛門、岡飛騨守、江川が殉死する。
出典:『信長公記』巻6(18)(「三好左京大夫謀反の事」)

天正3年 1575年 4月17日 26歳
織田信長の新堀城攻めに参加する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正3年 1575年 4月19日 26歳
夜、織田信長が十河因幡守、香西越後が籠る新堀を攻める。香西越後、十河因幡、十河越中、十河左馬允、三木五郎大夫、藤岡五郎兵衛、東村大和、東村備後を討ち取り、新堀を落とす。
出典:『信長公記』巻8(3)「河内国新堀城攻め干され並に誉田城破却の事」、『綿考輯録』巻3

天正4年 1576年 5月7日 27歳
織田信長大坂本願寺攻めに参加する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 2月13日 28歳
織田信長が雑賀郡(紀伊国)を攻めるため、京都から出陣する。石清水八幡宮に陣を置く。総勢が『兼見卿記』では10万余、『多聞院日記』では15万余とされる。
細川藤孝忠興父子が織田信長の雑賀郡(紀伊国)攻めに加わるべく出陣する。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻10(1)「雑賀御陣の事」、『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 2月16日 28歳
細川忠興松井康之有吉立行・米田求政・志水新之丞が貝塚(和泉国)より撤退する紀伊勢を追撃する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 9月29日 28歳
細川藤孝筒井順慶明智光秀松永久秀家臣の森秀光・海老名勝正が籠る片岡城(大和国)を包囲する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正5年 1577年 10月1日 28歳
片岡城(大和国)攻めに細川藤孝勢として参加する。細川勢のうち下津一通、池田壱岐、久下弥右衛門、纐纈藤太夫、酒井孫次郎、内藤三四郎が戦死する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正6年 1578年 9月-日 29歳
小山城攻めに細川藤孝勢として参加する。
出典:『綿考輯録』巻3

天正8年 1580年 8月2日 31歳
細川藤孝忠興父子が勝龍寺城(山城国)より丹後国に入部し八幡山城(丹後国)に入る。居城として宮津に築城することに定め、普請奉行を有吉立言とする。勝龍寺城には松井康之を置く。
出典:『綿考輯録』巻3

天正9年 1581年 3月25日 32歳
矢部家定猪子高就が勝龍寺城(山城国)在番として入城する。城を預かっていた松井康之は家定・高就に城を渡し丹後国に向かう。
出典:『信長公記』巻14(2)「御馬揃への事」、『綿考輯録』巻4

天正9年 1581年 8月23日 32歳
羽柴秀吉鳥取城(因幡国)攻めの加勢として松井康之が鳥取に着陣する。
出典:『綿考輯録』巻4

天正15年 1587年 4月22日 38歳
細川幽斎松井康之の居城・松倉城(丹後国)に赴く。
出典:小瀬甫庵『太閤記』巻第10「幽斎道之事」

天正17年 1589年 9月3日 40歳
松井康之北野社松梅院禅興に海松1折を贈る。
出典:『北野社家日記』同年月日条

文禄1年 1592年 12月8日 43歳
「天正」より「文禄」に年号が改まる。
出典:-

慶長1年 1596年 10月27日 47歳
「文禄」より「慶長」に元号が改まる。
出典:-

慶長2年 1597年 9月13日 48歳
足利義昭の香典として、細川忠興より堵物20結、細川幽斎より堵物10結、松井康之より銭3貫文、小笠原より堵物1結が西笑承兌のもとに届く。使者は細川忠隆
出典:『鹿苑日録』同年月日条

慶長5年 1600年 9月10日 51歳
黒田如水勢が高田城(豊後国)の竹中重信の軍勢と合流し、赤根峠に陣取る。
夜、大友義統が浜脇(豊後国)に到着する。大友勢は松井康之有吉立行の籠る杵築城(豊後国)を攻める。孝高は井上之房・久野次左衛門・野村市右衛門・後藤左門・時枝平大夫・母里与三兵衛・曽我部五右衛門・池田九郎兵衛・黒田安大夫の軍勢3000を援軍として遣す。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」

慶長5年 1600年 9月11日 51歳
黒田如水が垣見理右衛門・藤井九左衛門の籠る富来城(豊後国)を包囲する。如水は杵築城(豊後国)の救援に向かうため、同城より引き上げる。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」

慶長5年 1600年 9月12日 51歳
黒田如水が安岐城(豊後国)の近くに陣取る。如水勢と安岐城を守っていた熊谷次郎介が戦う。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」

慶長5年 1600年 9月13日 51歳
石垣原の合戦で黒田如水大友義統が戦い、如水が勝利する。
出典:『黒田家譜』巻12「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 9月15日 51歳
大友義統黒田如水に降伏する。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」

慶長5年 1600年 9月16日 51歳
黒田如水が安岐城(豊後国)を攻めるべく、同地に向かう。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」

慶長5年 1600年 9月17日 51歳
加藤清正熊本城(肥後国)に帰城することを松井康之有吉立行に伝える。
出典:『清正行状奇』

慶長5年 1600年 9月17日 51歳
黒田如水が熊谷外記の守る安岐城(豊後国)を包囲する。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」

慶長5年 1600年 9月19日 51歳
安岐城(豊後国)を守る熊谷外記が、黒田如水に降伏する。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 9月23日 51歳
黒田如水に垣見理右衛門・藤井九左衛門の守る富来城(豊後国)を攻める。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 9月24日 51歳
黒田如水に垣見理右衛門・藤井九左衛門の守る富来城(豊後国)を鉄砲にて砲撃する。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 10月2日 51歳
大垣城(美濃国)にて垣見一直が殺害されたことを伝える垣見家の使者が富来城(豊後国)を包囲中の黒田如水勢に捕縛される。如水は使者を富来城に遣わす。一直の死を知った垣見理右衛門・藤井九左衛門は富来城(豊後国)を如水に明け渡す。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 10月4日 51歳
黒田如水が富来城(豊後国)を発ち、広津山(豊前国)に陣取る。
出典:『黒田家譜』巻13「如水記」、『関原始末記』

慶長5年 1600年 11月2日 51歳
徳川家康細川忠興に丹後国の替地として豊前国、豊後国国東郡・速見郡内の旧領・杵築の390000石を給付する。忠興は中津城(豊前国)を居城とする。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠興」の項

慶長6年 1601年 4月17日 52歳
細川忠興松井康之に豊後国速水郡内・杵築17000石を預ける。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠興」の項

慶長14年 1609年 3月23日 60歳
細川忠利に嫁ぐことになった徳川秀忠の養女・千代を松井康之が伏見(山城国)にて迎える。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠利」の項

慶長14年 1609年 4月24日 60歳
細川忠利に嫁ぐことになった徳川秀忠の養女・千代が中津城(豊前国)に到着する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠利」の項

慶長15年 1610年 8月20日 61歳
細川幽斎が京都において死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川藤孝」の項

慶長17年 1612年 1月22日 63歳
松井康之が死去する。
出典:-

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