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軍役から石高算出
城 郭 史
淀城(山城国)
よどじょう
築 城 年
-
築 城 者
-
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
-
別 称
-
現 所 在 地
〒613-0903
京都府京都市伏見区淀本町167
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
○
淀城(山城国)の関連文化財
リ ン ク
細川氏綱
、
岩成友通
淀城(山城国) 年表
永禄3年 1560年 1月15日
三好長慶
、
畠山高政
が
淀城
(山城国)にいる管領・
細川氏綱
のもとに礼に赴く。
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」
永禄3年 1560年 1月16日
三好長慶
、
松永久秀
が
淀城
(山城国)より上洛する。
出典:『足利季世記』巻5「長慶任修理大夫事」
永禄6年 1563年 12月20日
細川氏綱
が
淀城
(山城国)にて死去する。
出典:『足利季世記』巻6「晴元逝去之事」
元亀4年 1573年 7月27日
細川藤孝
が
岩成友通
の籠る
淀城
(山城国)を攻める。
出典:『綿考輯録』巻2
天正1年 1573年 -月-日
羽柴秀吉
が
淀城
(山城国)に籠る番頭大炊頭、諏訪飛騨守を寝返らせ、
岩成友通
を孤立させる。
出典:『信長公記』巻6(10)「岩成討果され候事」
天正1年 1573年 8月2日
岩成友通
が籠る
淀城
(山城国)を
細川藤孝
が攻める。藤孝の家臣・下津一通が友通を討ち取る。
出典:『信長公記』巻6(10)「岩成討果され候事」
天正13年 1585年 2月27日
羽柴秀吉
が
淀城
(山城国)に入る。
出典:『兼見卿記』同年月日条
天正13年 1585年 5月11日
羽柴秀吉
が
淀城
(山城国)に入る。
出典:『兼見卿記』同年月日条
天正17年 1589年 5月27日
豊臣秀吉
が
淀城
(山城国)に赴く。
淀殿
が棄(鶴松)を出産する。
出典:『北野日記』同年月日条(『北野天満宮史料』北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)、『鹿苑日録』同年月28日条
文禄4年 1595年 7月8日
豊臣秀吉
が、謀叛の疑惑につき
豊臣秀次
を
高野山
清巌寺に配流する。申刻(15-17時)、秀次が
伏見城
(山城国)を出立する。木下吉隆、羽田長門守、
応其
が秀次の供をする。秀次一行は玉水(山城国)に宿泊する。
夜、秀次の妻子が徳永寿昌邸に移され、
前田玄以
と
田中吉政
が監視する。
出典:『太閤さま軍記のうち』、『太閤記』巻17「前関白秀次公之事」、『当代記』巻3同年月日条
文禄4年 1595年 7月9日
豊臣秀次
が玉水(山城国)を出立し、奈良(大和国)の中院の井上源五郎邸に宿泊する。秀次のもとに見舞いの使者が多く訪れたが、不要である旨の触れを出すよう駒井重勝、
益田照従
に命じる。
出典:『太閤記』巻17「前関白秀次公之事」
文禄4年 1595年 7月13日
豊臣秀次
謀叛事件につき、連座した秀次家臣の処刑が行われる。秀次家臣の切腹に
石田三成
・
前田玄以
・
増田長盛
が検使として立ち会う。秀次謀叛事件に連座した
服部一忠
は
上杉景勝
に、一柳直秀は
徳川家康
に、
船越景直
は遠流の刑に処される。
出典:『太閤さま軍記のうち』
文禄4年 1595年 7月15日
豊臣秀次
が
高野山
青巌寺にて切腹する。秀次家臣・
木村重茲
が秀次に連座し大門寺(摂津国)にて切腹する。
出典:『当代記』巻3 同年月日条
慶長19年 1614年 -月-日
保科正光が
淀城
(山城国)を守備する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第250「保科正光」の項
慶長20年 1615年 5月5日
巳刻(9-11時)、
徳川家康
が
二条城
(山城国)より出陣する。
二条城留守居衆:
松平定勝
、
青木信安
。
家康が淀(山城国)にて
細川忠興
に会う。申刻(15-17時)、枚方・星田(河内国)に陣取り、宿泊する。
徳川秀忠
が
伏見城
(山城国)より出陣し、申刻(15-17時)、砂・星田(河内国)に陣取る。秀忠は家康と対面し徳川方諸勢の陣所について協議する。
本多正信
、
藤堂高虎
、
土井利勝
、
安藤重信
がその協議に参加する。
小笠原秀政
が久宝寺村(河内国)に陣取る。
井伊直孝
が松原(河内国)に陣取る。
藤堂高虎
勢が千塚に陣取る。
出典:『駿府記』同年月日条、『綿考輯録』巻19、『佐久間軍記』
慶長20年 1615年 5月6日
八尾(河内国)にて
藤堂高虎
と
長宗我部盛親
が戦う。
藤堂勢:藤堂高虎、藤堂新七郎[藤堂高虎勢](戦死)・
藤堂高刑
[藤堂高虎勢](戦死)・
桑名吉成
[藤堂高虎勢](戦死)。
長宗我部勢:長宗我部盛親。
巳刻(9-11時)、若江(河内国)にて
井伊直孝
・
木村重成
・山口左馬允が戦い、直孝が勝利する。
徳川勢:井伊直孝、川手良列[井伊直孝勢](戦死)、庵原朝昌[井伊直孝勢]、福留政親[井伊直孝勢]。
豊臣勢:木村重成(戦死)、山口左馬允、
内藤政勝
(戦死)。
岩田にて
榊原康勝
と木村宗明が戦い、康勝が勝利する。
徳川勢:榊原康勝。
豊臣勢:木村宗明。
道明寺(河内国)にて水野勝成・
松平忠明
・
伊達政宗
の徳川勢と
後藤基次
・
薄田兼相
・
渡辺糺
の豊臣勢が戦い、徳川勢が勝利する。
徳川勢:水野勝成、松平忠明、伊達政宗。
豊臣勢:後藤基次(戦死)、薄田兼相(戦死)、渡辺糺。
合戦後、
徳川家康
・
徳川秀忠
は枚岡(河内国)に陣取る。7日の
大坂城
(摂津国)総攻めにつき、先陣を本多忠朝と定める。
出典:『駿府記』同年月日条、「薩藩旧記雑録後編」(『大阪市史』史料編 第五巻 大坂城編 2006年)、『佐久間軍記』、『
福富半右衛門親政法名浄安覚書
』
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