人 物 史

太田資正 おおた すけまさ
生 没 年大永2年(1522)-天正19年(1591)9/8
出 身-幼 名-
別 称源五郎、三楽斎、道誉
法 名-
戒 名智正院嶽雲道端大居士
太田資頼太田下野守の娘
兄 弟 姉 妹太田資顕、太田資正
配 偶 者難波田憲重の娘、大石定久の娘
太田氏資、梶原政景、太田資武、瀬田資忠、娘(成田氏長の妻)、娘(多賀谷重経の妻)
官 位美濃守、民部大輔
役 職-
城 郭松山城(武蔵国)、岩槻城(武蔵国)
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ太田資正の関連文化財
太田資正 年表
大永2年 1522年 -月-日 1歳
太田資正が生まれる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 7歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 11歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
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天文14年 1545年 9月26日 24歳
上杉憲政が北条綱成が在番する川越城(武蔵国)を軍勢65000をもって包囲する。
出典:『関八州古戦録』巻1「上杉憲政武州河越城責ノ事」

天文14年 1545年 10月27日 24歳
足利晴氏が川越城(武蔵国)を包囲する上杉憲政に加勢すべく古河(下総国)より軍勢20000にて出陣する。
出典:『関八州古戦録』巻1「上杉憲政武州河越城責ノ事」

天文15年 1546年 4月1日 25歳
北条氏康が上杉憲政に包囲されている川越城(武蔵国)を救援すべく、軍勢8000を率い小田原城(相模国)を発ち、砂窪(武蔵国)に着陣する。
出典:『関八州古戦録』巻1「北条氏康河越城後詰付夜軍ノ事」

天文15年 1546年 4月20日 25歳
北条氏康川越城(武蔵国)を包囲する上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の陣を夜襲し、勝利する。朝定が戦死し、憲政は平井城(上野国)に撤退する。上杉勢は難波田憲重が戦死する。
出典:『関八州古戦録』巻1「北条氏康河越城後詰付夜軍ノ事」

弘治1年 1555年 10月23日 34歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
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弘治4年 1558年 2月28日 37歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
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元亀1年 1570年 4月23日 49歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

天正1年 1573年 7月28日 52歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正18年 1590年 3月1日 69歳
豊臣秀吉北条氏政氏直父子を討伐するため京都を出陣する。
出典:『北野社家日記』同年月日条

天正18年 1590年 4月1日 69歳
豊臣秀吉が箱根山(相模国)に陣取る。小田原城(相模国)を包囲する。豊臣勢:池田輝政
出典:(天正18年)4月1日付豊臣秀吉朱印状(『上越市史 別編2 上杉氏文書集2』3351号「鳥垣文書」)

天正18年 1590年 7月6日 69歳
北条氏政氏直父子が豊臣秀吉に降伏する。脇坂安治片桐且元榊原康政小田原城(相模国)に赴き、城を請け取る。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正18年 1590年 7月12日 69歳
北条氏政北条氏照・笠原新六郎・大道寺政繁が切腹する。検使は榊原康政
出典:『太閤さま軍記のうち』、『寛政重修諸家譜』巻第100「清和源氏 義家流 足利支流 榊原」「榊原康政」の項

天正19年 1591年 9月8日 70歳
太田資正が片野(常陸国)にて死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第253「太田資正」の項

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