人 物 史

清玉 せいぎょく
生 没 年?-?
出 身-
俗 姓(氏)-俗 名-
別 称-
院 号 坊 号-
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兄 弟 姉 妹-
所 属 寺 社阿弥陀寺[住持]
僧 位 僧 官-
諡 号-
師 匠-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
清玉 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
-----清玉が生まれる。-
永禄8年15651220-三好義継清玉上京芝薬師西町阿弥陀寺境内の芥川分二季地子銭200疋(2貫文)を永代に渡り寄進する。永禄8年12月20日付三好義継書下(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1220号「阿弥陀寺文書」)
永禄10年156731-清玉行願寺で3月2日より開催する千部経法会に音楽にて結縁するように山井景長に依頼する。依頼を受けた景長は山科言継にその旨を伝える。言継は参加する旨を表明する。『言継卿記』同年月日条
永禄10年156732-清玉行願寺(革堂)で千部経法会(3/2-3/11)を催す。山科言継・四辻相公・山井景長・隆秋が行願寺で行われる千部経法会に参加する。夕座の際、清玉が言継に酒を勧める。言継は清玉に奉加20疋を贈る。『言継卿記』同年月日条
永禄10年156733-山科言継・大沢右兵衛大夫・小川松夜叉・孫左衛門尉が行願寺千部経法会に赴く。『言継卿記』同年月日条
永禄10年156734-山科言継が四辻・楽人を連れ行願寺千部経に赴く。『言継卿記』同年月日条
永禄10年156735-山科言継・四辻相公・薄が行願寺千部経に赴く。高倉永相が同じく聴聞にやってくる。遍照院が笙を吹く。『言継卿記』同年月日条
永禄10年156736-山科言継・持明院・薄が行願寺千部経に赴く。『言継卿記』同年月日条
永禄10年156737-山科言継・持明院・四辻相公・倉部・薄とともに行願寺千部経に赴く。高倉永相・甘露寺・中院・松夜叉・下冷泉児・下冷泉中将が聴聞に訪れる。遍照院が笙を吹く。『言継卿記』同年月日条
永禄10年156738-山科言継行願寺千部経に赴く。葉室が清水寺・行願寺の千部経を聴きに訪れる。『言継卿記』同年月日条
永禄10年156739-対馬守弟越後入道が山科言継のもとを訪れ、行願寺の千部経法会を差配している清玉から預かっている20疋を言継に渡す。言継は持明院・四辻相公・薄・山井景長隆秋とともに行願寺に赴く。四辻相公が結縁として筝をひく。朝経の後、行願寺別当 少納言の所に千部経参加の公家衆・楽人衆・導師僧67人・雲松軒・養命坊中将(筝演奏者)を饗応する。『言継卿記』同年月日条
永禄10年1567310-山科言継・持明院・四辻相公・薄・山井景長・隆秋が行願寺に赴く。『言継卿記』同年月日条
永禄10年1567311-行願寺千部経が結願(最終日)。山科言継・持明院・四辻 相公・薄・山井 景長・隆秋が行願寺に赴く。午刻過ぎに読経が終わる。『言継卿記』同年月日条
永禄10年1567312-対馬守弟越後入道が行願寺千部経を差配していた清玉の使いとして山科言継を訪れ、言継に千部経参加のお礼として樽代30疋を贈る。『言継卿記』同年月日条
永禄11年156842-東大寺大仏殿再興について清玉が申し出たこと称える書状を松永久秀が清玉に発給する。(永禄11年)4月2日付松永久秀書状(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1398号「阿弥陀時文書」)
永禄11年1568418-東大寺大仏殿再興について、三好長逸が洛中洛外諸寺諸山への勧進を勧める書状を清玉に発給する。(永禄11年)4月18日付三好長逸書状(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1399号「阿弥陀時文書」)
永禄11年156857-東大寺大仏殿再興について、正親町天皇より三好長逸に奉加に応じるように依頼する綸旨が発給される。(永禄11年)5月7日付正親町天皇綸旨案(『戦国遺文』三好氏編第2巻-1402号)
永禄11年1568716-東大寺大仏殿の仮屋用の材木について天満山の木を大乗院が寄進する。『多聞院日記』同年月日条
永禄12年156948-清玉が北野経王堂にて東大寺の大仏の螺髪の鋳造を行う。多くの人々が見物に訪れる。『言継卿記』同年月7日条
永禄12年1569718-東大寺大仏の身体部分の鋳造すると聞いて万人が参詣する。『多聞院日記』同年月日条
元亀2年1571829-東大寺大仏殿の勧進につき奉加に応じるようにと記した武田信玄宛の元亀2年7月16日付正親町天皇綸旨が調えられる。『言継卿記』同年月日条
天正10年1582414-山科言経冷泉為満が阿弥陀寺の行念仏に赴く。『言経卿記』同年月日条
-----清玉が死去する。-
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