人 物 史

高橋紹運 たかはし じょううん
生 没 年天文17年(1548)9/24-天正14年(1586)7/27
出 身-幼 名千寿丸
別 称孫七郎、吉弘鎮理、鎮種
法 名紹運、紹雲
戒 名天叟院殿性海紹運大居士
吉弘鑑理大友義鑑の娘
兄 弟 姉 妹吉弘鎮信、高橋紹運、女(戸次鎮秀の妻)、尊寿院(大友義統の妻)
配 偶 者宋雲院(斎藤長実の娘)
立花宗茂立花直次、娘(大友義乗の妻)、娘(立花成家の妻)、於千代(小田部統房の妻)、嘉也(立花親家の妻、細川興元の妻)
官 位主膳正
役 職-
城 郭宝満城(筑前国)、岩屋城(筑前国)
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第1輯 刊本
関 連 デ ー タ高橋紹運の関連文化財
高橋紹運の家臣
高橋紹運 年表
天文17年 1548年 9月24日 1歳
高橋紹運が生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第113「高橋鎮種」の項

天文19年 1550年 2月10日 3歳
田口鑑親・津久見美作守が居館にいた大友義鑑を襲撃し、大友塩市丸が死去する。義鑑は重傷を負う。
出典:-

天文19年 1550年 2月12日 3歳
大友義鑑が死去する。
出典:-

弘治1年 1555年 10月23日 8歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 11歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄10年 1567年 7月7日 20歳
戸次鑑連・吉弘鑑理・臼杵鑑速率いる大友勢が太宰府(筑前国)に陣取る。鑑速が高橋鑑種の家臣が籠る岩屋城(筑前国)を攻め、同城を落とす。鑑連、鑑理は宝満城(筑前国)を攻める。
出典:『陰徳太平記』巻41「高橋宗仙毛利元就一味付筑前国所々合戦之事」

永禄10年 1567年 8月15日 20歳
戸次鑑連・臼杵鑑速率いる大友勢が秋月種実領の嘉摩郡、穂波郡に攻め入る。
出典:『陰徳太平記』巻41「高橋宗仙毛利元就一味付筑前国所々合戦之事」

永禄10年 1567年 8月18日 20歳
子・統虎が生まれる。
出典:-

永禄10年 1567年 9月3日 20歳
夜、秋月種実が休松(筑前国)に陣取る戸次鑑連・吉弘鑑理・臼杵鑑速率いる大友勢に夜襲を仕掛け、大友勢は敗走する。大友勢は戸次鑑方、戸次親宗、戸次鑑繁、戸次鑑堅、十時右近、由布五兵衛、安東右馬允、綿貫勘解由が戦死する。
出典:『陰徳太平記』巻41「高橋宗仙毛利元就一味付筑前国所々合戦之事」

元亀1年 1570年 4月23日 23歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀1年 1570年 10月3日 23歳
大友宗麟龍造寺隆信が和睦する。
出典:『豊薩軍記』巻3「龍造寺蜂起之事」

元亀1年 1570年 11月-日 23歳
吉弘鎮理が高橋家の名跡を相続する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第113「高橋鎮種」の項

元亀2年 1571年 6月14日 24歳
毛利元就が死去する。
出典:『陰徳太平記』巻48「毛利元就朝臣逝去並鹿助披擒事」

元亀2年 1571年 -月-日 24歳
戸次鑑連が筑前国守護代になるとともに、立花家の名跡を継ぎ、立花山城(筑前国)城主となる。
出典:『高橋紹運記』

元亀3年 1572年 -月-日 25歳
子・立花直次が生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第113「立花直次」の項

天正1年 1573年 7月28日 26歳
「元亀」より「天正」に年号が改まる。
出典:-

天正6年 1578年 11月12日 31歳
耳川にて田北鎮周、佐伯惟教、佐伯惟真、佐伯鎮忠、角隈石宗等が率いる大友勢と島津義久が戦い、義久が勝利する。大友方は鎮周、惟教、惟真、鎮忠、石宗、臼杵統景、蒲池鑑盛、蒲池統安が戦死する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津義久」の項、『豊薩軍記』巻2「高城河原合戦並大友諸将討死事」

天正7年 1579年 1月11日 32歳
大友宗麟が家督を子・義統に譲る。
出典:『豊薩軍記』巻3「大友義統探題職の事」

天正8年 1580年 8月12日 33歳
織田信長が、大友宗麟島津義久の和睦を命じる。
出典:『寛政重修諸家譜』108「島津」

天正9年 1581年 10月25日 34歳
高橋統虎立花道雪の養子となり、道雪の娘・誾千代を娶る。
出典:『寛政重修家譜』巻第112「清和源氏 為義流 立花」「立花宗茂」

天正13年 1585年 9月11日 38歳
立花道雪が死去する。
出典:『寛政重修家譜』巻第112「清和源氏 為義流 立花」「立花鑑連」

天正14年 1586年 7月13日 39歳
高橋紹運が籠る岩屋城(筑前国)を攻めるため、島津忠長伊集院忠棟が率いる島津勢が太宰府観世音寺に陣取る。龍造寺政家、秋月種実高橋元種等が城を包囲する。
出典:『高橋紹運記』34「薩摩衆並九州の大軍岩屋へ寄来る事」

天正14年 1586年 7月14日 39歳
島津忠長伊集院忠棟が率いる島津勢が高橋紹運が籠る岩屋城(筑前国)を攻める。
出典:『高橋紹運記』34「薩摩衆並九州の大軍岩屋へ寄来る事」

天正14年 1586年 7月27日 39歳
寅刻(3-5時)、島津忠長伊集院忠棟が率いる島津勢が高橋紹運の籠る岩屋城(筑前国)を攻め、未刻(13-15時)に島津勢が城内の高橋勢を悉く討つ。紹運は自害する。
出典:『上井覚兼日記』同年月日条、『黒田家譜』巻3「孝高記」、『高橋紹運記』35「岩屋城中役所配之事」、『寛政重修諸家譜』巻第113「高橋鎮種」の項目

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