人 物 史

細川晴国 ほそかわ はるくに
生 没 年永正13年(1516)8月-天文5年(1536)8/29
出 身-幼 名-
別 称八郎、虎益、晴総
法 名-
戒 名-
細川政春-
兄 弟 姉 妹細川高国細川晴国、細川通政
配 偶 者-
細川通薫
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献細川晴国に関する参考文献
関 連 デ ー タ-
細川晴国 年表
永正13年 1516年 8月-日 1歳
細川晴国が生まれる。
出典:-

大永1年 1521年 8月23日 6歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 13歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

享禄4年 1531年 6月6日 16歳
兄・道永が大物(摂津国)の広徳寺にて切腹する。
出典:『細川両家記』

天文1年 1532年 7月29日 17歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文2年 1533年 6月18日 18歳
平岡にて細川晴国と薬師寺国長・三雲資胤・蒲生定秀進藤貞治が戦い、晴国が勝利する。薬師寺国長は戦死する。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号)

天文2年 1533年 6月21日 18歳
細川晴元本願寺証如が和睦した、もしくは和睦して安堵した晴元に一向一揆勢が襲い掛かったと京都にて噂される。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号

天文2年 1533年 6月22日 18歳
細川晴元本願寺証如の和睦について、実説は和睦はなったが、大坂本願寺にいた細川高国の牢人衆が晴元勢、証如勢に襲い掛かり双方300人の死者を出したという。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号

天文2年 1533年 6月23日 18歳
細川晴国と法華寺法華衆が戦う。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』151号

天文2年 1533年 10月18日 18歳
官庁近辺にて細川晴元と細川晴国が戦い、晴元が勝利する。ただし、晴元勢も死傷者を多く出す。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』152号)

天文2年 1533年 12月7日 18歳
丹波国にいる細川晴国が軍勢(波多野氏足軽)を西京(山城国)に遣す。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』152号)

天文2年 1533年 12月8日 18歳
巳刻(9-11時)、細川晴元と細川晴国の軍勢が、本圀寺、四条法華堂、知恩寺にて戦う。晩に双方引き上げる。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』152号)

天文3年 1534年 7月20日 19歳
木沢長政三好政長が軍勢20000をもって細川晴国方の嵯峨城(西芳寺城)(山城国)を攻める。
出典:『北野社家日記』同年月日条、『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』154号)

天文3年 1534年 8月4日 19歳
細川晴国衆の上野源五郎が籠る西城(山城国)が暴風雨により櫓も残らず倒壊する。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』154号)

天文5年 1536年 8月29日 21歳
細川晴国が三宅国村の裏切りにあい、天王寺(摂津国)にて自害する。
出典:-

天文5年 1536年 8月-日 
細川晴国が天王寺において自害する。
出典:『巌助往年記』同年月日条

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