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寺 院 史
本圀寺(山城国)
ほんこくじ
本 尊
三宝尊
創 建
建長5年 1253年
開 基
-
山 号
大光山
宗 派
日蓮宗
別 称
-
関連宗教施設
-
現 所 在 地
〒607-8403
京都府京都市山科区御陵大岩6
旧 所 在 地
京都六条
史 料 地 名
-
イ メ ー ジ
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
-
本圀寺(山城国) 年表
大永7年 1527年 2月12日
足利義晴
が
柳本賢治
討伐のため水干、立烏帽子のいで立ちで出陣する。御供衆として大舘、細川昌勝、
伊勢貞忠
が随従する。義晴は
本圀寺
に陣取る。
細川道永
、武田元光も出陣する。高国は軍勢10000を率い、桂川に布陣。桂川にて賢治と戦う。
出典:『北野社家日記』同年月日条、『厳助往年記』同年月日条
大永7年 1527年 11月17日
三好元長
、波多野稙通、赤井、
柳本賢治
が長坂口より
足利義晴
の陣所に攻め入る。元長、賢治、赤井は
本圀寺
に陣取り、
東寺
への通路を塞ぐ。稙通は
本能寺
に陣取る。
出典:『言継卿記』・『厳助大僧正記』同年月日条
天文2年 1533年 12月8日
巳刻(9-11時)、
細川晴元
と細川晴国の軍勢が、
本圀寺
、四条法華堂、知恩寺にて戦う。晩に双方引き上げる。
出典:『兼右卿記』同年月日条(『ビブリア』152号)
天文16年 1547年 6月17日
本圀寺
日泰・法華寺日要・
本能寺
日宗が六角家重臣
進藤貞治
・平井高好に、法華衆と
延暦寺
との和睦の条件について、白袈裟・素絹・朱柄笠・塗足駄を用いて徘徊しないこと、紫以上の袈裟を寺内であっても着用しないこと、地下人の葬送の際に勅会の際に着用する装束は着ないこと、輿に乗って洛中を徘徊しないこと、平絹の白五条を着用すること、僧俗ともに法席以外で一般人に対し「法理」と言って争論をしないことを提示する。また、日吉祭の祭礼費用として法華衆が毎年3月に100貫文を
坂本
(近江国)にて進納することを伝える。
これを受け、
六角定頼
は、法華衆の和睦条件を延暦寺三院執行代御坊中に伝える。
出典:延暦寺・日蓮衆徒講話文書案(『蜷川家文書』3-605号)
永禄11年 1568年 10月14日
足利義昭
が
芥川山城
(摂津国)より上洛し
本圀寺
に入る。
出典:『言継卿記』同年月日条
永禄12年 1569年 4月14日
織田信長
が築城した春日室町第に
足利義昭
が
本圀寺
より移る。
出典:『言継卿記』同年月日条
天正7年 1579年 5月27日
織田信長
が
安土城
(近江国)にて浄土衆と日蓮衆との宗論を行う。浄土衆の勝者とし、日蓮衆の普伝、塩屋伝介を死罪とする。また、日蓮衆1000人程を久遠院に追い入れる。
妙覚寺
をはじめとする京都の日蓮衆の諸寺連署で、安土城での宗論は日蓮衆の負けであること、今後、他宗に対し法難をしないこと、日蓮衆が宗派として存在することを忝く思うことを誓う起請文を
堀秀政
、
菅屋長頼
、
長谷川秀一
宛に提出させる。起請文の連署者は、
本能寺
日幸、
本圀寺
日佑、
妙覚寺
日諦ほか。
出典:『言経卿記』同年月28日条・同年6月2日条
天正10年 1582年 10月28日
本圀寺
にて
羽柴秀吉
、
丹羽長秀
、
池田恒興
が天下を静謐にすることを談合する。
出典:『蓮成院記録』同年月30日条
天正14年 1586年 6月7日
上杉景勝
が大溝(近江国)を出立し、
坂本
(近江国)に宿泊予定のところ、
石田三成
の勧めにより、逢坂を越え京都の
本圀寺
に宿泊する。
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)
天正14年 1586年 6月8日
上杉景勝
が
本圀寺
に逗留する。
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)
天正14年 1586年 6月9日
上杉景勝
が
本圀寺
に逗留する。
木曽義昌
が景勝のもとに挨拶に訪れる。また、
愛宕山
(下坊カ)、
近衛信輔
の使者が訪れる。村上頼勝、
溝口秀勝
が音信として訪れる。
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)
天正14年 1586年 6月10日
上杉景勝
が
本圀寺
に逗留する。景勝が百万遍に赴く。
羽柴秀吉
の使者として景勝のもとに
石田三成
がやってきていろいろと指南をする。備中屋一宗のもとを訪れる。
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)
天正14年 1586年 6月18日
上杉景勝
が大坂(摂津国)を発ち上洛する。石清水八幡宮に参詣する。瀧本坊にて振舞を受ける。夜遅く、京都(
本圀寺
カ)に到着する。
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)
天正14年 1586年 6月19日
六条(
本圀寺
カ)に逗留する。
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)
天正14年 1586年 6月22日
上杉景勝
が参内する。後陽成天皇より天盃を下賜される。その後、
羽柴秀吉
に連れられ仙洞御所を見物する。夕方、六条(
本圀寺
カ)に帰る。
出典:天正十四年上洛日記(『上越市史 別編2 上杉氏文書集二』3106号)
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