寺 院 史

報恩寺(山城国) ほうおんじ
本 尊阿弥陀如来
創 建貞観8年 866年[伝]
開 基円仁[伝]
山 号堯天山
宗 派浄土宗
別 称一条之報恩寺
関連宗教施設-
現 所 在 地〒602-0066
京都府京都市上京区小川町寺之内下射場579
旧 所 在 地一条
相国寺鹿苑院旧地
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク-
報恩寺(山城国) 年表
承久3年 1221年 -月-日 
義空が大報恩寺を創建する。
出典:-

天文1年 1532年 9月22日 
鷲尾隆康、青蓮院尊鎮大報恩寺に参詣する。
出典:『二水記』同年月日条

天文21年 1552年 2月22日 
千本釈迦堂大報恩寺の養命坊と善法坊が山科言継のもとを鈴一対と台物をもって訪れる。言継は砂糖餅の吸い物を振る舞う。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄8年 1565年 7月3日 
松永久通配下の足軽・奥田が率いる100-200名が早旦より未刻(13-15時)まで報恩寺あたりを徘徊する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天正4年 1576年 3月28日 
二条晴良邸が織田信長の命により報恩寺に移ることになり、その普請を山科言継山科言経葉室長教が見物する。明智光秀が晴良邸の普請奉行を命じられる。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正4年 1576年 4月7日 
山科言継二条晴良邸を普請中の報恩寺を見物する。大概完成しており、大工は見えず、壁塗りばかりが行われている状態であったという。貴賎男女も見物していたという。
出典:『言継卿記』同年月日条

天正4年 1576年 4月9日 
報恩寺二条晴良邸の作事がおおよそ完了する。この日、晴良が移徙を予定していたが、悪日のため10日に延期となる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天正4年 1576年 4月10日 
未刻(13-15時)、二条晴良昭実父子が報恩寺に造作した屋敷に移る。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正4年 1576年 4月12日 
二条晴良報恩寺の跡地に建てた屋敷に移る。吉田兼見が訪れ対面する。兼見と神道について雑談する。
出典:『兼見卿記』同年月日条

元和9年 1623年 8月4日 
黒田長政が報恩寺にて死去する。
『黒田家譜』巻14「長政記」では閏8月4日死去とある。
出典:『菅氏世譜』、『黒田家譜』巻14「長政記

寺院リストに戻る

Copyright(c)Kudo Katsuhiro All Rights Reserved.