文明2年 1470年 -月-日 |
母・蓮祐が死去する。 |
出典:- |
文明3年 1471年 -月-日 |
今川氏親が生まれる。 *『寛政重修諸家譜』巻第94「今川氏親」の項に記載されている没年・享年より逆算。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第94「今川氏親」の項 |
文明3年 1471年 2月1日 |
妙意が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明3年 1471年 2月1日 |
子・妙意が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明3年 1471年 2月1日 |
姉・妙意が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明3年 1471年 4月-日 |
蓮如が北陸に下向する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明3年 1471年 5月7日 |
幕府が久我通尚の所領である伊勢国石榑荘と尾張国一宮(真清田神社)を安堵する。 |
出典:室町幕府奉行人連署奉書「久我家文書」(『愛知県史』資10-17-p8) |
文明3年 1471年 5月12日 |
尾張国一宮(真清田神社)大宮司が神戸秀国を代官に補任する。 |
出典:尾張国一宮大宮司源某補任状案「久我家文書」(『愛知県史』資10-17-p8) |
文明3年 1471年 7月-日 |
蓮如が吉崎(越前国)に御坊を建立する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明4年 1472年 8月1日 |
了忍が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明4年 1472年 8月1日 |
子・了忍が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明4年 1472年 8月1日 |
妹・了忍が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明4年 1472年 8月14日 |
見玉が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明4年 1472年 8月14日 |
子・見玉が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明4年 1472年 8月14日 |
姉・見玉が死去する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明4年 1472年 12月21日 |
長谷寺惣門および両側の在家が焼失する。 |
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条 |
文明5年 1473年 3月18日 |
山名宗全が死去する。 |
出典:- |
文明5年 1473年 5月11日 |
細川勝元が死去する。 |
出典:- |
文明5年 1473年 6月-日 |
太田道灌が駿河国に攻め入る。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第253「太田資長」の項 |
文明5年 1473年 10月-日 |
太田道灌が江戸城(武蔵国)に帰城する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第253「太田資長」の項 |
文明5年 1473年 11月-日 |
上杉政真の死去につき、上杉持朝の三男・定政が家督を相続する。それにつき、太田道灌が政務を取り仕切る。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第253「太田資長」の項 |
文明5年 1473年 12月19日 |
足利義尚が征夷大将軍となる。 |
出典:『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年) |
文明6年 1474年 1月1日 |
伊勢貞高が死去する。 |
出典:『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年) |
文明6年 1474年 1月15日 |
細川頼常が死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川頼常」の項 |
文明6年 1474年 2月21日 |
最上義春が死去する。 |
出典:『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年) |
文明6年 1474年 3月20日 |
足利義尚・日野富子が小川に新造した御所に移る。猿楽が催される。 |
出典:『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年) |
文明6年 1474年 3月28日 |
足利義尚が参内する。 |
出典:『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年) |
文明6年 1474年 3月28日 |
吉崎御坊の蔵より出火し、御坊が焼失する。 |
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」 |
文明6年 1474年 3月29日 |
足利義尚が参内する。 |
出典:『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年) |
文明6年 1474年 4月1日 |
島津立久が薩摩国にて死去する。 |
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津立久」の項 |