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総年表


寛正4年 1463年 -月-日
島津忠昌が薩摩国鹿児島郡清水城にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠昌」の項

寛正4年 1463年 -月-日
渥美友元が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第961「渥美友元」の項にみえる没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第961「渥美友元」の項

寛正4年 1463年 4月23日
足利義政行願寺に参詣する。
出典:『蔭涼軒日録』同年月日条

寛正4年 1463年 -月-日
祐心が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

寛正4年 1463年 -月-日
子・祐心が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

寛正5年 1464年 4月5日
鞍馬寺の勧進聖 善盛が糺河原で勧進猿楽を興行する。
出典:『島津家文書』3巻-1187号

寛正5年 1464年 7月19日
後花園天皇が譲位し、後土御門天皇が践祚する。
出典:-

寛正5年 1464年 8月22日
長谷寺観音堂の上葺が完成する。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年8月28日条

寛正5年 1464年 8月28日
長谷寺観音堂上葺の竣工を祝し執行坊において長谷寺勧進聖梵阿弥が饗応の猿楽を催す。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

寛正5年 1464年 12月2日
足利義政の後継者として、浄土寺義尋が還俗し、義視と名乗る。義視は左馬頭に任官。細川勝元を傅役とする。
出典:『細川勝元記』

寛正5年 1464年 -月-日
蓮淳が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

寛正5年 1464年 -月-日
子・蓮淳が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

寛正6年 1465年 1月9日
延暦寺西塔の僧衆が大谷本願寺を破却する。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

寛正6年 1465年 3月-日
太田道灌が上洛する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第253「太田資長」の項

寛正6年 1465年 11月23日
足利義尚が生まれる。
出典:『後鑑』巻220(『続国史大系』第8巻、経済雑誌社、1904年)

寛正6年 1465年 12月27日
後土御門天皇が即位する。
出典:-

文正1年 1466年 -月-日
細川政元が生まれる。
出典:-

文正1年 1466年 2月28日
「寛正」より「文正」に年号が改まる。
出典:-

文正1年 1466年 閏2月6日
上杉憲実が死去する。
出典:-

文正1年 1466年 6月-日
長谷寺登廊勧進を奈良(大和国)にて実施することが噂される。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年6月28日条

文正1年 1466年 7月30日
足利義稙が生まれる。
出典:-

文正1年 1466年 -月-日
子・政元が生まれる。
出典:-

寛正7年 1466年 -月-日
妙覚寺と本覚寺と合併する。
出典:-

文正1年 1466年 -月-日
了忍が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

文正1年 1466年 -月-日
子・了忍が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

文正2年 1467年 -月-日
武田元繁が生まれる。
出典:-

文正2年 1467年 1月15日
細川勝元が軍勢を洞院公数邸に入れたと噂される。
出典:『後法興院政家記』同年月日条

文正2年 1467年 1月16日
細川勝元足利義政より畠山政長への合力はしないようにと命じられ、合力を止める。
出典:『後法興院政家記』同年月日条

文正2年 1467年 1月18日
畠山義就畠山政長が上御霊神社にて戦う。
出典:『後法興院政家記』同年月日条

文正2年 1467年 1月19日
細川勝元山名宗全畠山義就・一色義直・土岐成頼の籠る御所の西に陣取り、取り囲む。
出典:『経覚私要抄』同年月日条

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