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総年表


明応6年 1497年 -月-日
進藤貞治が生まれる。
出典:-

明応6年 1497年 -月-日
十市遠忠が生まれる。
出典:-

明応6年 1497年 -月-日
塩冶興久が生まれる。
出典:-

明応6年 1497年 -月-日
島津忠隆が薩摩国鹿児島郡清水城にて生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第108「島津忠隆」の項

明応6年 1497年 -月-日
丹羽氏識が生まれる。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第85「丹羽氏識」の項

明応6年 1497年 -月-日
陶隆満が生まれる。
出典:-

明応6年 1497年 2月11日
細川成春が長谷寺に参詣する。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月12日条

明応6年 1497年 3月4日
山城国宇治郡山科竹鼻の住僧・梵興が久米多寺の一切経を長谷寺の勧進聖・玄空の勧めにより長谷寺に寄進する。
出典:「寄進記」(『長谷寺編年資料』より引用)

明応9年 1497年 3月14日
毛利元就が生まれる。
出典:-

明応6年 1497年 4月18日
長谷寺の勧進聖 玄空が越前国で勧進活動をするにあたり、越前国守護の朝倉氏へ玄空の長谷寺勧進活動を認めてもらい、かつ便宜をはかってもらえるよう尋尊が朝倉氏へ書状を送る。
出典:『大乗院寺社雑事記』同年月日条

明応6年 1497年 9月27日
三条西実隆が議定所において長谷寺縁起を読む。
出典:『実隆公記』同年月日条

明応6年 1497年 -月-日
子・塩冶興久が生まれる。
出典:-

明応6年 1497年 -月-日
弟・塩冶興久が生まれる。
出典:-

明応6年 1497年 -月-日
妙宗が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

明応6年 1497年 -月-日
子・妙宗が生まれる。
出典:『大谷本願寺通紀』巻第2「歴世宗主伝第二」

明応7年 1498年 -月-日
一条房冬が生まれる。
*『陰徳太平記』巻50「一条兼定卿御流離之事」にみえる没年・享年記載より逆算。
出典:『陰徳太平記』巻50「一条兼定卿御流離之事」

明応7年 1498年 -月-日
相良武任が生まれる。
出典:-

明応7年 1498年 5月7日
蓮如が上洛する。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月9日
蓮如が金宝寺(山城国洛中四条)に入る。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月10日
蓮如が体調を崩し、金宝寺(山城国洛中四条)に逗留する。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月11日
蓮如が体調を崩し、金宝寺(山城国洛中四条)に逗留する。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月12日
蓮如が体調を崩し、金宝寺(山城国洛中四条)に逗留する。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月13日
蓮如が体調を崩し、金宝寺(山城国洛中四条)に逗留する。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月14日
蓮如が体調を崩し、金宝寺(山城国洛中四条)に逗留する。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月15日
蓮如が体調を崩し、金宝寺(山城国洛中四条)に逗留する。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月16日
蓮如が体調を崩し、金宝寺(山城国洛中四条)に逗留する。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月17日
蓮如が体調を崩し、金宝寺(山城国洛中四条)に逗留する。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 5月18日
蓮如が金宝寺(山城国洛中四条)を発ち、山科本願寺に向かう。
出典:『紫雲殿由縁起』(『真宗全書』本p146)

明応7年 1498年 8月26日
六角氏が芦浦観音寺に毎月の代参と坂本(近江国)への御用を命じるにつき、芦浦観音寺へ諸関奉行・志那渡宛の過書を発給する。
出典:明応7年8月26日付六角氏奉行人連署奉書「芦浦観音寺文書」

明応7年 1498年 11月22日
長谷寺観音の開眼が行われる。導師は重実。
出典:『続史愚抄』同年月日条

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