人 物 史

飛鳥井雅綱 あすかい まさつな
生 没 年長享3年(1489)-元亀2年(1571)
出 身-幼 名-
別 称高雅、雅氏、雅清
法 名-
戒 名-
飛鳥井雅俊生清の娘
兄 弟 姉 妹飛鳥井雅綱、飛鳥井行雅
配 偶 者丹波親康の娘
覚澄、喜雲、飛鳥井雅春、堯慧、宗禎、遠山、水本、雅巌、重茂、娘、娘(朽木晴綱の妻)、娘、娘
官 位権大納言
氏 族 門 流-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ史料にみえる飛鳥井雅綱の呼称
飛鳥井雅綱 年表
長享3年 1489年 -月-日 1歳
飛鳥井雅綱が生まれる。
出典:-

明応1年 1492年 7月19日 4歳
「延徳」より「明応」に年号が改まる。
出典:-

文亀1年 1501年 2月29日 13歳
「明応」より「文亀」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

永正1年 1504年 2月30日 16歳
「文亀」より「永正」に年号が改まる。
出典:『厳助往年記』同年月日条

大永1年 1521年 8月23日 33歳
「永正」より「大永」に年号が改まる。
出典:-

享禄1年 1528年 8月20日 40歳
「大永」より「享禄」に年号が改まる。
出典:-

天文1年 1532年 7月29日 44歳
「享禄」より「天文」に年号が改まる。
出典:-

天文2年 1533年 1月5日 45歳
飛鳥井雅綱が参内にあたり山科言継のもとを訪れる。言継に紫組冠懸を授与する。その後、参内する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月6日 45歳
飛鳥井雅綱山科言継に蹴鞠門弟契約につき紫組冠懸を授与することを書状をもって伝える。言継より返状あり。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月7日 45歳
山科言継飛鳥井雅綱のもとに紫組冠懸授与につき返礼に訪れる。酒を勧める。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月10日 45歳
飛鳥井雅綱が自邸に山科言継、金粟院、一宮堅成、六角堂松坊、速水親忠、里村弥二郎を招き蹴鞠を行う。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月13日 45歳
飛鳥井雅綱山科言継を14日の朝食に誘う。言継より応じるとの返答あり。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月14日 45歳
飛鳥井雅綱が自邸に山科言継を招き朝食をともにする。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月15日 45歳
飛鳥井雅綱が自邸にて山科言継、四条中将、蔵人、金粟院、速水親忠、淵田与三郎とともに蹴鞠をする。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月17日 45歳
飛鳥井雅綱山科言継、正親町、勧修寺が賀茂(山城国)より松ヶ崎(山城国)あたりにて鷹狩を行う。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月19日 45歳
飛鳥井雅綱山科言継のもとを訪れ参内し、公宴御会に参加する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月23日 45歳
落馬する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月24日 45歳
1月23日に落馬した飛鳥井雅綱のもとに山科言継が見舞いに訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 1月27日 45歳
飛鳥井雅綱のもとに山科言継が見舞いに訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 2月8日 45歳
万里小路が山科言継を呼び春日祭について説明を受ける。その際、袍が不足していることから、飛鳥井雅綱の袍を借りることにする。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 2月10日 45歳
山科言継が春日祭で不足している袍を飛鳥井雅綱に借りるべく訪れる。一旦、言継とは別れるが、後に言継が雅綱を訪れたので草餅にて酒を飲む。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月2日 45歳
飛鳥井雅綱山科言継等が尾張国に下向するため京都を出立し坂本(近江国)の善養坊に到着する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月3日 45歳
山科言継と言継と同道していたと思われる飛鳥井雅綱等が四時分、坂本(近江国)の善養坊を出立する。船にて琵琶湖を渡り守山の守善寺にて湯漬けをとる。長光寺(近江国)にて宿泊する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月4日 45歳
山科言継と言継と同道していたと思われる飛鳥井雅綱等が、人夫の調達できなかったため長光寺(近江国)にもう一泊する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月5日 45歳
山科言継と言継と同道していたと思われる飛鳥井雅綱等が、四時分、長光寺を出立する。九過時分に山上(近江国)に到着する。永源寺、含空院、退蔵寺を見物する。雄相庵に宿泊する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月6日 45歳
山科言継と言継と同道していたと思われる飛鳥井雅綱等が、五時分、雄相庵を出立する。八風峠を越え、八過時分に梅戸高実の梅戸城(伊勢国)に到着する。小庵にて宿泊する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月7日 45歳
山科言継と言継と同道していたと思われる飛鳥井雅綱等が、五時分、梅戸城(伊勢国)の小庵を出立する。八時分に桑名津(伊勢国)に到着する。渡海を予定していたが潮目が悪く桑名津に宿泊する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月8日 45歳
五時分に桑名津(伊勢国)を出航した山科言継と言継と同道していたと思われる飛鳥井雅綱等が、八時分に津島(尾張国)に到着する。雅綱が織田信秀に速水親忠を遣わす。信秀は織田定信を迎えの使者として遣わし、信秀の勝幡城(尾張国)に迎える。夜、冷麺と吸物にて酒あり。雅綱が信秀に太刀を贈る。言継一行は勝幡城の新築の座敷に宿泊する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月9日 45歳
朝食中の山科言継、雅綱のもとに織田信秀、織田光清が訪れる。晩、蹴鞠をする。参加者は、雅綱、言継、蔵人、信秀、光清、速水親忠。見物人が数百人いたという。夕食を信秀が用意し雅綱、言継等をもてなす。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月10日 45歳
織田光清、織田信秀、伴兼久が山科言継のもとを訪れる。
飛鳥井雅綱が勝幡城(尾張国)に訪れる。織田十郎左衛門を使者として、言継、蔵人を城に呼び寄せ、蹴鞠をする。参加者は、雅綱、言継、蔵人、信秀、織田光清、速水親忠、成田左京亮、伴兼久。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月12日 45歳
織田信秀、織田光清が七時分に山科言継のもとを訪れ蹴鞠をする。
織田達勝が言継のもとに礼に訪れる。蹴鞠の参加者は、飛鳥井雅綱、言継、達勝、速水親忠、信秀、光清、成田左京亮。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月13日 45歳
織田定信が飛鳥井雅綱の門弟となる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月15日 45歳
滝川勝景が飛鳥井雅綱の門弟となる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月16日 45歳
花井元信、矢野寛倫が飛鳥井雅綱の門弟となる。
織田信秀より、山科言継、蔵人とともに勝幡城(尾張国)に招かれ切麺にて酒を振る舞われる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月17日 45歳
山科言継織田信秀のもとへ見舞いに赴く。七時分、飛鳥井雅綱、言継、蔵人が近所を見物する。路次にて織田光清と会い、帰宅後、光清が瓜、食籠、徳利を持参してやってきたので酒を飲む。信秀の庭にて蹴鞠あり。参加者は雅綱、言継、蔵人、信秀、速水親忠、光清、成田左京亮、花井元信。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月18日 45歳
夜、蹴鞠が行われる。参加者は、雅綱、山科言継、蔵人、織田信秀、速水親忠、矢野寛倫、織田光清、織田定信、滝川勝景、花井元信、成田左京亮。
伴兼久が雅綱の門弟となる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月19日 45歳
山科言継平手政秀より徳利が贈られたので酒を飲む。
織田信秀、織田光清が言継のもとを訪れる。
夜、蹴鞠が行われる。参加者は、飛鳥井雅綱、言継、蔵人、信秀、速水親忠、光清、花井元信、成田左京亮、伴兼久、滝川勝景。
初夜時分、風流踊があるとのことで招かれたので雅綱、蔵人とともに見物する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月20日 45歳
平手政秀が自邸にて飛鳥井雅綱山科言継、蔵人を招き朝食を振る舞う。「数寄之座敷一段也」と言継より評される。八時分まで酒、音曲あり。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月21日 45歳
織田達順、織田信吉が飛鳥井雅綱の門弟となる。
夜、蹴鞠が行われる。参加者は、雅綱、山科言継、蔵人、織田信秀、速水親忠、達順、成田左京亮、織田光清、信吉、花井元信、伴兼久、滝川勝景。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月22日 45歳
土岐家被官で長井藤左衛門与力の成田左京亮が23日に美濃国へ帰国するので飛鳥井雅綱のもとへ挨拶に訪れる。
夜、蹴鞠が行われる。参加者は、雅綱、山科言継、蔵人、織田信秀、速水親忠、織田達順、織田光清、織田信吉、花井元信、伴兼久、滝川勝景。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月23日 45歳
織田信秀が自邸にて和歌会を催す。参加者は、飛鳥井雅綱山科言継、蔵人、信秀、織田達順、安心、矢野寛倫、さいか定直、省方、速水親忠、周徳、斎藤勝秀、織田頼秀、織田光清、小勢秀実、伴兼久、牟藤任貞。
今川竹王丸、織田達順が雅綱の門弟となる。
夜、蹴鞠が行われる。参加者は、雅綱、言継、蔵人、今川竹王丸、信秀、親忠、達順、光清、織田信吉、花井元信、滝川勝景、伴兼久。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月24日 45歳
鷹狩に赴く織田信秀に、飛鳥井雅綱山科言継、蔵人とともに同道する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月25日 45歳
矢野勝倫が雅綱の門弟となる。
勝幡城(尾張国)にいる織田信秀のもとを訪れる。夜、信秀が催した蹴鞠に参加する。参加者は、雅綱、言継、今川竹王丸、信秀、速水親忠、矢野勝倫、織田定信、光清、織田達順、花井元信、平手助次郎。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月26日 45歳
夜、蹴鞠に参加する。参加者は、飛鳥井雅綱山科言継、蔵人、今川竹王丸、織田信秀、速水親忠、織田達順、織田光清、織田定信、矢野勝倫、織田信吉、花井元信、伴兼久、滝川勝景。
渡辺玄蕃助が雅綱の門弟となる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月27日 45歳
渡辺玄蕃助の望みにより、朝、蹴鞠が行われる。参加者は、飛鳥井雅綱山科言継、蔵人、今川竹王丸、織田信秀、速水親忠、織田達順、織田光清、花井元信。庭を平手政秀がしつらえる。
林秀貞が雅綱の門弟となる。
信秀が雅綱に3000疋、言継・蔵人に200疋を贈る。
清須(尾張国)の織田達勝のもとに雅綱、言継が赴く。信秀が同道する。達勝による夕飯の振る舞いあり。信秀は勝幡城(尾張国)に帰宅する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月28日 45歳
千秋季通が雅綱の蹴鞠の門弟となる。
渡辺玄蕃助の弟・林光院が雅綱の歌道の門弟となる。
6時分、雅綱の雑色 四郎右衛門が勝幡(尾張国)にて死去する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 7月29日 45歳
織田信秀山科言継のもとを訪れる。信秀・言継が織田達勝のもとを訪れる。
織田達勝のもとで蹴鞠が行われる。参加者は、飛鳥井雅綱、言継、蔵人、織田光清、織田定信、速水親忠、毛利敦元、千秋季通、伴兼久、矢野勝倫。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月1日 45歳
織田達勝が飛鳥井雅綱山科言継のもとへ礼に訪れる。
毛利敦元が雅綱の門弟となる。
雅綱が達勝に礼をするべく速水親忠を遣わす。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月2日 45歳
織田達勝のところにて朝飯あり。飛鳥井雅綱山科言継、達勝、速水親忠、織田達順、矢野寛倫が相伴する。
夜、蹴鞠が行われる。参加者は、雅綱、言継、達勝、親忠、達順、毛利敦元、矢野勝倫。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月3日 45歳
矢野寛倫、篠田安盛が飛鳥井雅綱のもとを訪れる。安盛が雅綱の歌道の門弟となる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月4日 45歳
織田広孝(織田達勝の弟)、監物の子、織田勘解由右衛門尉が雅綱のもとへ礼に訪れ太刀を贈る。
織田達勝の所にて蹴鞠が行われる。参加者は、雅綱、山科言継、蔵人、達勝、速水親忠、矢野寛倫、織田達順、毛利敦元。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月5日 45歳
名古屋教久が飛鳥井雅綱の蹴鞠の門弟となる。
坂井摂津守が礼に訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月6日 45歳
僧侶3名が飛鳥井雅綱の歌道の門弟となる。
坂井弥助が礼に訪れる。
夜、蹴鞠が行われる。参加者は、雅綱、山科言継、蔵人、織田達勝、織田信秀、速水親忠、毛利敦元、織田達順、織田定信、織田達種。
夕飯時に体調を崩す。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月8日 45歳
織田信秀山科言継のもとを訪れる。
その後、信秀は体調不良の飛鳥井雅綱のもとを見舞う。
矢野寛倫、毛利敦元が雅綱のもとを訪れ、敦元は雅綱に白粥を贈る。
8時分、矢野寛倫、矢野勝倫、赤木対馬守、名古屋教久、坂井摂津守が雅綱の見舞いに訪れるが、雅綱は熱がひどいため対面せず。対馬守が雅綱の脈を診る。
5時分、寛倫が呼んだ薬師(法華衆)が訪れ服薬する。敦元が訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月9日 45歳
体調不良の飛鳥井雅綱のもとに乗円房が訪れ脈を診る。服薬する。
織田信秀が2、3度見舞いに訪れる。織田達勝、織田広孝(達勝弟)、織田光清、織田定信、矢野寛倫、坂井摂津守が訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月10日 45歳
体調が悪化した飛鳥井雅綱を、織田信秀、織田光清、織田定信、織田丹波守、織田達種、赤林対馬守が見舞う。対馬守が雅綱に薬を進める。
渡辺玄蕃助の所より貝鮑50、荒巻20、鯨、樽代50疋が贈られる
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月11日 45歳
飛鳥井雅綱が興福寺北院の越中に脈を診てもらい、薬を進められ、病状が落ち着く。
10日に渡辺玄蕃助より貰った食物を織田丹波守へ贈る。
織田達勝、坂井摂津守、矢野勝倫、毛利敦元が見舞いに訪れる。
夜、発熱する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月12日 45歳
飛鳥井雅綱の発熱が続く。
雅綱が織田達勝に馬を贈る。
織田光清、織田丹波守が雅綱の面倒をみる。毛利敦元、織田監物、坂井摂津守が雅綱のもとを訪れ、興福寺北院の越中が脈を三度診る。
夜、近所の寺の僧侶 眼朝が雅綱の病気平癒の祈祷する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月13日 45歳
飛鳥井雅綱のもとに織田信秀が使者として内藤を遣わす。
雅綱のもとへ織田光清が訪れる。
病状が落ち着く。
織田達勝が見舞いに訪れ雑談する。山科言継、蔵人、達勝とともに朝飯を食す。坂井摂津守、赤林が訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月14日 45歳
飛鳥井雅綱のもとに織田光清、赤林対馬守が訪れる。織田達勝が見舞いに訪れる。坂井摂津守、毛利敦元が訪れる。
8時分、善哉を食す。
織田信秀平手政秀が訪れる。雅綱の上洛について山科言継と話し合う。
信秀の命により雅綱の病気平癒のため近所の庵にて大般若経の転読が行われる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月15日 45歳
織田信秀に槍を贈る。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月16日 45歳
飛鳥井雅綱のもとに織田達勝、織田丹波守、織田勘解由左衛門、赤林対馬守、矢野勝倫、坂井摂津守が見舞いに訪れる。
病状が回復する。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月17日 45歳
飛鳥井雅綱のもとへ織田光清、織田丹波守、毛利敦元、矢野勝倫、名古屋教久が訪れる。
この日、上洛の出発日としていたが、雨のため20日に延引する。織田達勝が暇乞いに訪れる。太刀1腰、馬1疋(栗毛印雀目結)、5000疋が贈られる。毛利敦元より餞として200疋が進上される。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月18日 45歳
織田光清が餞として300疋を、光清の子・織田達種が100疋を雅孝に進上する。織田丹波守の子・竹満丸(8歳)に八境図、鴨沓の免状を発給する。ただし八境図そのものは渡さず。
斯波義統に鴨沓、葛袴、八境図とそれらの免状を速水親忠をもって遣わす。
勘解由小路治部大輔が訪れ、雅孝の蹴鞠の門弟となる。
織田丹波守の子・竹満丸が礼に訪れる。
織田広孝が雅綱の蹴鞠の門弟となる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月19日 45歳
織田広孝、名古屋教久が雅綱の門弟となるため訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月20日 45歳
清須(尾張国)を発ち墨俣(美濃国)を越え光明寺に宿泊する(山科言継と同道しているため)。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月21日 45歳
雨のため墨俣(美濃国)に滞在する。雅綱の被官 速水左京亮が礼に訪れ太刀を進上する。左京進に太刀、肩衣、袴を遣わす。
山科言継、織田光清と歌を詠む。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月22日 45歳
飛鳥井雅綱山科言継が墨俣(美濃国)を発ち、垂井(美濃国)に到着する。墨俣より和田弥九郎が迎えにやってくる。垂井に速水左京亮、織田光清が訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月23日 45歳
速水左京亮、織田光清、和田弥九郎が垂井(美濃国)より帰る。長井が迎えとして山科言継と言継と同道している飛鳥井雅綱のもとを訪れ、朝妻(近江国)まで赴く。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文2年 1533年 8月24日 45歳
山科言継と言継と同道している飛鳥井雅綱が朝、八時前に朝妻(近江国)を発ち、七時分、坂本(近江国)の濱の坂井源三右衛門の所に到着する。出発時、勝幡(尾張国)よりの輿舁を帰す。
言継のもとへ坂本の大蓮坊、善養坊、仏頂坊が訪れる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文6年 1537年 2月8日 49歳
飛鳥井雅綱邸にて歌会始が行われる。参加者は、甘露寺、山科言継、雅綱、細川陸奥守、大舘兵庫頭、朽木稙綱、細川刑部少輔、三淵晴員荒川氏隆、本郷三郎、安東平次郎。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文11年 1542年 閏3月21日 54歳
飛鳥井雅綱の蹴鞠会に、細川晴元、細川丹波守、長塩、大井源介、平井、桜井、速水、吉田、蜷川親俊が参加する。
出典:『蜷川親俊日記』同年月日条

天文14年 1545年 10月3日 57歳
飛鳥井雅綱が、明日、多賀社へ赴くことを山科言継に伝える。
出典:『言継卿記』同年月日条

弘治1年 1555年 10月23日 67歳
「天文」より「弘治」に年号が改まる。
出典:-

弘治4年 1558年 2月28日 70歳
「弘治」より「永禄」に年号が改まる。
出典:-

永禄12年 1569年 10月20日 81歳
曾孫・雅庸が生まれる。
出典:-

元亀1年 1570年 4月23日 82歳
「永禄」より「元亀」に年号が改まる。
出典:-

元亀2年 1571年 -月-日 83歳
飛鳥井雅綱が死去する。
出典:-

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