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神 社 史
多賀大社(近江国)
たがたいしゃ
祭 神
伊邪那岐命、伊邪那美命
創 建
-
別 称
多賀社
関連宗教施設
-
現 所 在 地
〒522-0341
滋賀県犬上郡多賀町多賀604
旧 所 在 地
-
史 料 地 名
-
イ メ ー ジ
-
参 考 文 献
-
リ ン ク
-
多賀大社(近江国) 年表
天文3年 1534年 4月9日
厳助が
多賀社
に参詣する。
出典:『厳助大僧正記』同年月日条
天文11年 1542年 3月11日
多賀大社の諸殿および橋の修造分担を衆議によって定める。
不動坊…本社拝殿・舞台・庁屋、輪橋
般若坊…神楽所・籠所
福泉 …山田社・同社拝殿惣囲
成就坊…神明両宮・同宮拝殿惣囲
観音坊…日向社・同社拝殿惣囲、日向之前橋
乗音 …三宮・聖宮
成就坊・般若坊・乗音・観音坊…上森中・四屋橋
地下人…下馬橋・桜町馬場橋
出典:多賀大社修理所衆議定書写「多賀大社文書」『多賀大社叢書』62号
天文14年 1545年 10月3日
飛鳥井雅綱
が、明日、
多賀社
へ赴くことを
山科言継
に伝える。
出典:『言継卿記』同年月日条
天文15年 1545年 12月7日
多賀社
勧進にあたる「同宿輩」の勧進先での私宅設置と勧進を行っていないのにもかかわらず「勧進」と言って奉加を募る行為を禁止するよう
六角定頼
が不動院に命じる。
出典:六角氏奉行人連署奉書「多賀大社文書」『多賀大社叢書』70号
天文15年 1546年 12月7日
多賀社
不動院の「同宿輩」が諸国に私宅を構え、勧進であると偽って奉加を募る者がいるので、同社本願 不動院に対し「同宿輩」をきちんと管理するよう命じる奉行人奉書を発給する。
出典:天文15年12月7日付六角氏奉行人連署奉書(『多賀大社叢書』文書篇70号)
天文18年 1549年 5月27日
多賀社
本願の祐尊が上人号勅許の礼として
聖護院道増
とともに参内する。
出典:『御湯殿上之記』同年月日条
天文18年 1549年 11月19日
京都に住む山伏・石見 慶春(経舜)が
山科言継
のもとを訪れ、
多賀社
勧進帳を執筆してくれた礼として20疋を贈る。
出典:『言継卿記』同年月日条
天文21年 1552年 1月13日
多賀社
不動坊配下の祐賢(宮内卿法師)が、
山科言継
のもとを訪れ、前年に勅筆を賜ったことへの礼として鳥子紙100枚を贈る。
出典:『言継卿記』同年月日条
弘治4年 1558年 2月5日
山科言経
が京都に住む山伏・石見 慶春(経舜)に
多賀社
への代参月詣を依頼する。
出典:『言継卿記』同年月日条
永禄1年 1558年 3月9日
葉室頼房
が
多賀社
参詣のため京都を出発する。
出典:『言継卿記』弘治4年3月10日条
永禄2年 1559年 1月-日
安見宗房
が
多賀社
本願の不動院に永禄2年1・2・3月の各月に一度午日に御供を備えるため月別5斗の米代10疋を3ヶ月分(1石5斗=30疋(300文))を寄進する。
出典:1月吉日付安見宗房寄進上「多賀大社文書」『多賀大社叢書』75号
元亀1年 1570年 7月22日
多賀社
新蔵坊が
山科言継
のもとを訪れる。永禄12年秋に中御門家に依頼した綸旨文章について言継に執筆を依頼する。言継に対面し、札1枚、小刀2腰を贈る。
出典:『言継卿記』同年月日条
天正6年 1578年 6月26日
多賀社
社僧が吉田兼見のもとを訪れ、社頭・廻廊等の修理につき、役人・大工の汚穢・不浄を禁じるも、なお慎重を期すべく社に奉納する鎮札の調製を依頼する。
出典:『兼見卿記』同年月27日条
天正6年 1578年 6月27日
吉田兼見が多賀社に奉納する鎮札、御幣(2本、黒塗金物2所)、大麻(1尺2寸、八角)を遣わす。
出典:『兼見卿記』同年月日条
天正20年 1592年 7月14日
豊臣秀吉
の母・なか(大政所)重病のため、
清水寺
、
愛宕山
、
鞍馬寺
、石清水八幡宮、
北野社
、伊勢内宮、伊勢下宮、
多賀社
、
春日社
、稲荷社、住吉社、
祇園社
、下鴨神社、上賀茂神社、
金剛峯寺
に平癒祈祷を命じるとともに、回復した際には奉加として1000貫を寄附することを伝える。
出典:天正20年7月14日付豊臣秀次朱印状(和歌山県立博物館編『没後四〇〇年 木食応其 ―秀吉から高野山を救った僧―』2008年10月)
慶長4年 1599年 9月10日
多賀社
の社僧・玄順が宗源の伝授を受けるべく吉田家を訪れ米36石を渡す。
出典:『鈴鹿家記』同年月日条
慶長4年 1599年 9月11日
多賀社
の社僧・玄順が吉田家より宗源の伝授を受ける。
出典:『鈴鹿家記』同年月日条
慶長9年 1604年 11月26日
日野亜相と
西笑承兌
が草津(近江国)にある
多賀社
不動院の宿に行く。
出典:『鹿苑日録』同年月日条
慶長19年 1614年 8月2日
方廣寺
大仏供養に天台宗僧(諸末寺衆)として
多賀社
の般若院・成就院・少納言・少弐が参加する。
出典:『大仏供養請僧惣名帳』(『大日本仏教全書』寺誌叢書三)
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