人 物 史

豪盛 ごうせい
生 没 年大永6年(1526)-慶長15年(1610)6/29
出 身-
俗 姓(氏)-俗 名-
別 称-
院 号 坊 号薬樹院、正覚院
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兄 弟 姉 妹-
所 属 寺 社延暦寺東塔東谷正覚院[住持]
僧 位 僧 官権僧正
諡 号-
師 匠-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
豪盛 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
大永6年1526--1豪盛が生まれる(『東塔』「正覚院」の項より逆算)。-
----15豪盛延暦寺 薬樹院に住す。『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)
----15法華会探題職に補任される。『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)
元亀2年157191246織田信長延暦寺、和邇、堅田、坂本(近江国)を焼き討ちする。明智光秀を坂本(近江国)に置く。『信長公記』巻4(5)「叡山御退治の事」、『多聞院日記』同年月日条
天正12年158421159豪盛延暦寺復興のため西国に勧進に赴くにあたり、その活動を認める綸旨と令旨を賜るよう施薬院全宗が鳥居小路大蔵卿に請う。2月11日付施薬院全宗書状(「曼殊院文書」『大』11-5 同年月日条)
天正12年15845159延暦寺根本中堂・戒壇院の造営につき、延暦寺僧の豪盛施薬院全宗を本願として再興するようにと命じる。天正12年5月1日付羽柴秀吉判物(『山門復興文書』)
天正12年15845-59豪盛延暦寺根本中堂勧進帳を執筆する。『華頂要略』附録祐能記
天正12年158464-1525合志親為延暦寺復興勧進に奉加を出すこと約した書状を豪盛祐能に送る。6/4付合志親為書状(「三千院文書」『大』11-7)
天正12年158471059延暦寺 根本中道・戒壇院の再造について勧進にて復興するようにとする綸旨が豪盛に発給される。天正12年7月10日付正親町天皇綸旨写「立石寺文書」(『山形県史』古代中世史料1)
天正12年*1584*71759秋月種実が「叡山御再造」の奉加を豪盛に納める。「三千院文書」
天正13年1585閏81060伊達政宗のもとに延暦寺根本中堂・戒壇院と日吉社三宮の勧進奉加依頼が重複し政宗が不審の念を抱いている件について、豪盛が重複した理由を説明し、奉加依頼の綸旨発給日が早かった根本中堂・戒壇院への奉加を改めて依頼する。(天正13年)閏8月10日付豪盛書状(『伊達家文書』1-334号)
天正13年1585--60豪盛延暦寺東塔東谷正覚院に住す。『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)
----60豪盛延暦寺東塔の根本中堂復興の功につき権僧正に任じられる。-
天正13年1585--60延暦寺根本中堂が再興する。『東塔五谷堂舎並各坊世譜』「根本中堂」の項(『天台宗全書』)
天正17年15899-64延暦寺にて法華会を開く。探題は豪盛、講師は祐能『東塔』「南光坊」の項(『天台宗全書』)
文禄4年1595--70豪盛が本願として日吉社十禅師社を再興する。『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)
文禄5年159612571豪盛が大仏千僧会に出仕。豪盛は醍醐寺三宝院義演と雑談する。豊臣秀吉延暦寺を建立してくれたことを義演に物語る。『義演准后日記』同年月日条
慶長5年16004875随心院増孝が延暦寺にて受戒を受ける。戒師は豪盛『義演准后日記』同年月日条
慶長13年1608--83豪盛が正覚院院主職を豪海に譲る。『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)
慶長15年161062985豪盛が死去する。『東塔』「正覚院」の項(『天台宗全書』)
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