人 物 史

下曽根信照 しもそね のぶてる
生 没 年?-天正18年(1590)5月
出 身-幼 名-
別 称-
法 名-
戒 名快心
下曽根信秀-
兄 弟 姉 妹下曽根信照、下曽根信正
配 偶 者-
-
官 位刑部大輔
役 職-
城 郭-
参 考 文 献国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 第1輯 刊本
関 連 デ ー タ-
下曽根信照 年表
- -年 -月-日 
下曽根信照が生まれる。
出典:-

元亀3年 1572年 -月-日 
弟・信正が生まれる。
*『寛政重修諸家譜』巻第149「下曽根信正」の項の没年・享年記載より逆算。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第149「下曽根信正」の項

元亀4年 1573年 4月12日 
武田信玄が死去する。
出典:『寛政重修諸家譜』巻第145「武田晴信」の項

天正10年 1582年 3月11日 
織田信忠が甲斐国にて武田勝頼の所在を捜索し、所在地を突き止めた滝川一益が勝頼を包囲する。勝頼・信勝父子は天目山にて自害し、勝頼に随従していた長坂釣竿斎、秋山親久、小原下総守、小原丹後守、跡部尾張守、安部加賀守、土屋昌恒も自害する。
出典:『晴豊記』同年月22日条、『言経卿記』同年月20日条、『信長公記』巻15(10)「武田四郎父子生害の事」

天正18年 1590年 5月20日 
木村重茲浅野長政、岡本良勝、徳川家康勢の本多忠勝鳥居元忠平岩親吉が伊達房実の籠る岩槻城(武蔵国)を攻める。
豊臣勢:木村重茲、浅野長政、岡本良勝、本多忠勝、鳥居元忠、平岩親吉、駒井昌長渥美友重[平岩親吉勢]、武田信俊[平岩親吉勢]、下曽根信照[平岩親吉勢]、下曽根信正[平岩親吉勢]、小尾祐光津金胤久跡部久次[平岩親吉勢](戦死)。
北条勢:伊達房実。
出典:『黒田家譜』巻5「孝高記」、『寛政重修諸家譜』巻第157「駒井昌長」の項、同146「武田信俊」の項、同149「下曽根某(信照)」の項、同172「小尾祐光」の項、同173「津金胤久」の項、同173「跡部久次」の項、同961「渥美友重」の項、同961「渥美半右衛門」の項

天正18年 1590年 5月21日 
木村重茲浅野長政、岡本良勝、徳川家康勢の本多忠勝鳥居元忠平岩親吉が伊達房実の籠る岩槻城(武蔵国)を攻める。
豊臣勢:木村重茲、浅野長政、岡本良勝、本多忠勝、鳥居元忠、平岩親吉、駒井昌長渥美友重[平岩親吉勢]、武田信俊[平岩親吉勢]、下曽根信照[平岩親吉勢]、下曽根信正[平岩親吉勢]、小尾祐光津金胤久跡部久次[平岩親吉勢](戦死)。
北条勢:伊達房実。
出典:『黒田家譜』巻5「孝高記」、『寛政重修諸家譜』巻第157「駒井昌長」の項、同146「武田信俊」の項、同149「下曽根某(信照)」の項、同172「小尾祐光」の項、同173「津金胤久」の項、同173「跡部久次」の項、同961「渥美友重」の項、同961「渥美半右衛門」の項

天正18年 1590年 5月22日 
木村重茲浅野長政、岡本良勝、徳川家康勢の本多忠勝鳥居元忠平岩親吉が伊達房実の籠る岩槻城(武蔵国)を攻める。
豊臣勢:木村重茲、浅野長政、岡本良勝、本多忠勝、鳥居元忠、平岩親吉、駒井昌長渥美友重[平岩親吉勢]、武田信俊[平岩親吉勢]、下曽根信照[平岩親吉勢]、下曽根信正[平岩親吉勢]、小尾祐光津金胤久跡部久次[平岩親吉勢](戦死)。
北条勢:伊達房実。
出典:『黒田家譜』巻5「孝高記」、『寛政重修諸家譜』巻第157「駒井昌長」の項、同146「武田信俊」の項、同149「下曽根某(信照)」の項、同172「小尾祐光」の項、同173「津金胤久」の項、同173「跡部久次」の項、同961「渥美友重」の項、同961「渥美半右衛門」の項

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