人 物 史

武田信武 たけだ のぶたけ
生 没 年正応5年(1292)5/5-延文4年・正平14年(1359)7/13
出 身-幼 名-
別 称彦六、伊豆三郎
法 名-
戒 名-
武田信宗-
兄 弟 姉 妹武田信武
配 偶 者二階堂行藤の娘、足利高義の娘
武田信成、武田氏信、穴山義武、大井信明、山県公信
官 位伊豆守、陸奥守、甲斐守、修理亮、左馬頭
役 職室町幕府 引付衆 九州探題
安芸国守護、甲斐国守護、若狭国守護
城 郭-
参 考 文 献○『寛政重修諸家譜』巻第145「清和源氏 義光流 武田」「武田信武」の項
関 連 デ ー タ武田信武の関連文化財
武田信武 年表
正応5年 1292年 5月5日 1歳
武田信武が生まれる。
出典:-

永仁1年 1293年 8月5日 2歳
「正応」より「永仁」に年号が改まる。
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正安1年 1299年 4月25日 8歳
「永仁」より「正安」に年号が改まる。
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乾元1年 1302年 11月21日 11歳
「正安」より「乾元」に年号が改まる。
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嘉元1年 1303年 8月5日 12歳
「乾元」より「嘉元」に年号が改まる。
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徳治1年 1306年 12月14日 15歳
「嘉元」より「徳治」に年号が改まる。
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延慶1年 1308年 10月9日 17歳
「徳治」より「延慶」に年号が改まる。
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応長1年 1311年 4月28日 20歳
「延慶」より「応長」に年号が改まる。
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正和1年 1312年 3月20日 21歳
「応長」より「正和」に年号が改まる。
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文保1年 1317年 2月3日 26歳
「正和」より「文保」に年号が改まる。
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元応1年 1319年 4月28日 28歳
「文保」より「元応」に年号が改まる。
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元亨1年 1321年 2月23日 30歳
「元応」より「元亨」に年号が改まる。
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正中1年 1324年 12月9日 33歳
「元亨」より「正中」に年号が改まる。
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嘉暦1年 1326年 4月26日 33歳
「正中」より「嘉暦」に年号が改まる。
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元徳1年 1329年 8月29日 38歳
「嘉暦」より「元徳」に年号が改まる。
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元弘1年 1331年 8月9日 40歳
「元徳」より「元弘」に年号が改まる。
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元弘1年 1331年 9月27日 40歳
幕府を倒幕するため挙兵した後醍醐天皇の籠る笠置城(山城国)を攻めるため幕府軍が発向する。
出典:『関城書裏書』

正慶1年 1332年 4月28日 41歳
「元弘」より「正慶」に年号が改まる。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶1年 1332年 9月-日 41歳
護良親王楠木正成等を討伐するための北条貞直・北条時治・二階堂道薀率いる幕府軍が上洛する。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 閏2月26日 42歳
後醍醐天皇が片見(伯耆国)に移る。後醍醐天皇に供奉していた成田が名和長高の館に赴き、長高に後醍醐天皇に味方するようつたえる詔勅を渡す。長高は詔勅に応じ、後醍醐天皇を船上山まで警固し、船上山にて挙兵する。
出典:『関城書裏書』、『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 4月27日 42歳
船上山(伯耆国)で挙兵した後醍醐天皇を討つため北条高家が京都を発つ。久我畷(河内国)にて千草忠顕・結城親光・赤松則村と戦い、戦中、佐用範家に眉間を射られ戦死する。
出典:『太平記』、『梅松論』、『関城書裏書』

正慶2年 1333年 5月7日 42歳
護良親王、千草忠顕、赤松円心、良忠が六波羅探題館を攻める。北条仲時・北条時益は関東に逃れるべく光厳天皇・後伏見上皇・花園上皇とともに京都を脱す。
出典:『桜雲記』巻之上

正慶2年 1333年 5月22日 42歳
新田義貞が幕府の拠点である鎌倉(相模国)を制圧する。北条高時北条基時が自害する。
出典:『関城書裏書』

元弘3年 1333年 6月7日 42歳
後醍醐天皇が大内裏に還幸する。元号を正慶から元弘に戻す。
出典:『関城書裏書』

元弘3年 1333年 7月-日 42歳
千早城(河内国)を攻めていた幕府軍が降伏する。
出典:『桜雲記』巻之上

建武1年 1334年 11月5日 43歳
後醍醐天皇護良親王を謀叛の罪で捕え鎌倉(相模国)に配流する。
出典:『関城書裏書』

建武2年 1335年 8月17日 44歳
箱根(相模国)にて足利尊氏と北条時行勢が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月18日 44歳
相模川の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:『関城書裏書』足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武2年 1335年 8月19日 44歳
足利尊氏が鎌倉(相模国)に到着する。辻堂・片瀬原の合戦で足利尊氏と北条時行が戦い、尊氏が勝利する。
出典:足利尊氏関東下向宿次・合戦注文「国立国会図書館所蔵康永四年延暦寺申状紙背文書」『南北』関東1巻-270号

建武3年 1336年 2月13日 45歳
桜山にて足利尊氏足利直義兄弟と新田義貞北畠顕家楠木正成が戦い、新田勢が勝利する。尊氏・直義は九州に逃れる。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 2月29日 45歳
「建武」より「延元」に年号を改める。
出典:『桜雲記』巻之上、『大乗院日記目録』同年月条

延元1年 1336年 4月-日 45歳
足利尊氏直義兄弟が九州を発し、笠戸(周防)に入る。
出典:『桜雲記』巻之上

延元1年 1336年 5月25日 45歳
湊川(摂津国)にて足利尊氏新田義貞が戦い、尊氏が勝利する。楠木正成が戦死する。
出典:-

暦応2年・延元4年 1339年 8月16日 48歳
後醍醐天皇が崩御する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

貞和5年・正平4年 1349年 8月24日 58歳
足利直義が高師直により出家・隠居させられる。直義は恵源と名乗る。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応1年 1350年 12月9日 59歳
足利直義が南朝に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 7月30日 60歳
足利直義が京を抜け北陸に落ちる。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 10月8日 60歳
足利直義が鎌倉(相模国)に着く。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応2年・正平6年 1351年 12月15日 60歳
薩唾山の合戦で足利尊氏足利直義が戦い尊氏が勝利する。直義は尊氏に降伏する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

観応3年・正平7年 1352年 2月26日 61歳
足利直義が死去する。毒殺が噂される。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文3年・正平13年 1358年 4月29日 67歳
足利尊氏が死去する。
出典:『大乗院日記目録』同年月日条

延文4年・正平14年 1359年 7月13日 68歳
武田信武が死去する。
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