人 物 史

土肥実平 どい さねひら
生 没 年?-建久2年(1191)11/25
出 身-幼 名-
別 称次郎、万寿冠者
法 名実渓大真、通玄院仁山義公
戒 名-
中村宗平-
兄 弟 姉 妹中村重平、土肥実平、土屋宗遠、二宮友平、堺頼平、女(岡崎義実の妻)、女(伊東祐親の妻)
配 偶 者-
土肥遠平、新開実重
官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ土肥実平の関連文化財
土肥実平 年表
- -年 -月-日 
土肥実平が生まれる。
出典:-

永暦1年 1160年 3月11日 
平清盛源頼朝を伊豆国に流す。
出典:『吾妻鏡』治承4年4月27日条

治承4年 1180年 4月9日 
源頼政が、平清盛を討つため、子・源仲綱を以仁王のもとに遣わし、平家討滅の企てに誘う。以仁王はその企てにのり令旨を源氏に下す。源頼朝への令旨は源行家に託し遣わす。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 4月27日 
以仁王の令旨が北条館(伊豆国)にいる源頼朝のもとに届く。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承4年 1180年 5月26日 
以仁王源頼政が籠る三井寺に兵が集まらなかったため、両人は南都を頼むべく三井寺を出る。平知盛平維盛以仁王源頼政を追撃し、宇治(山城国)にて合戦となり、光明山鳥居前にて以仁王源頼政が戦死する。頼政の首はさらされるが、本人ではないとの噂が流れる。
出典:『吾妻鏡』同年月日条

治承5年 1181年 閏2月4日 
平清盛が死去する。
出典:-

寿永2年 1183年 7月25日 
源義仲延暦寺に陣取る。 平宗盛は安徳天皇を連れ西国に逃れる。
出典:『北条九代記』上

寿永2年 1183年 12月20日 
源頼朝の命を受けた梶原景時が、鎌倉(相模国)の御所内にて上総広常を殺害する。
出典:-

寿永3年・治承8年 1184年 1月21日 
粟津(近江国)にて源範頼・源義経源義仲が戦い、義仲は戦死する。
出典:-

寿永3年・治承8年 1184年 2月4日 
平宗盛等が一谷(摂津国)に城を構え軍勢を集める。
出典:-

寿永3年・治承8年 1184年 2月7日 
一ノ谷(摂津国)にて源範頼・源義経平宗盛平知盛が戦い、範頼・義経が勝利する。平忠度平経正平敦盛が戦死する。
出典:-

寿永4年 1185年 3月24日 
壇ノ浦にて源義経平宗盛が戦い、義経が勝利する。安徳天皇は平時子とともに入水自殺する。平教盛、平経盛、平知盛、平忠房、平行盛、平有盛も入水し死去する。宗盛、平清宗、平信忠は源氏勢に捕らえられる。
出典:『北条九代記』上

文治2年 1186年 11月18日 
源義経の捜索について院評定が行われ、畿内・北陸道に義経追捕の宣旨を出すことが決定する。
出典:『吾妻鏡』同年11月29日条

文治5年 1189年 閏4月30日 
源頼朝勢が平泉(陸奥国)を攻める。源義経が自害する。
出典:-

建久2年 1191年 11月25日 
土肥実平が死去する。
出典:-

建久3年 1192年 7月12日 
源頼朝が征夷大将軍となる。
出典:『北条九代記』上

建久10年 1199年 1月13日 
源頼朝が死去する。
出典:『北条九代記』上

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