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城 郭 史
高屋城(河内国)
たかやじょう
築 城 年
-
築 城 者
-
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
天正3年 1575年
別 称
-
現 所 在 地
〒583-0852
大阪府羽曳野市古市5丁目6−7
史 料 地 名
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
畠山稙長
、
畠山高政
、
安見宗房
、
三好之虎
、
三好義継
、
三好康長
、
畠山昭高
高屋城(河内国) 年表
天文7年 1538年 7月4日
畠山弥九郎
が
高屋城
(河内国)に入城したため、この日、
本願寺証如
が円山隠岐を遣わし初めて音信を遣わす。
出典:『天文日記』同年月日条
天文11年 1542年 3月9日
三好政長
が
高屋城
(河内国)に向かう。
出典:(天文10年)3月10日付三好政長書状(「酒井氏書状文書」『戦国遺文』三好氏篇第1巻-165号)
天文11年 1542年 3月17日
木沢長政
が
信貴山城
(大和国)・二上・
飯盛山城
(河内国)の軍勢5000をもって
遊佐長教
が籠る
高屋城
(河内国)を攻める。これを受け、
細川晴元
、
三好長慶
、
三好政長
、
六角定頼
が出陣する。太平寺の合戦で、細川・三好・遊佐・六角と長政と戦い、細川等が勝利し、長政は戦死する。
合戦後、
信貴山城
が焼失する。
出典:『厳助往年記』同年月日条、『天文日記』同年月日条、『蜷川親俊日記』同年月18・19日条、『惟房公記』同年月日18日条
天文16年 1547年 8月11日
三好長慶
・
三好之虎
・
安宅冬康
が河内国に攻め入り若林に陣取る。畠山政国の籠る
高屋城
(河内国)から出撃してきた畠山家足軽と
三好長慶
が戦う。
出典:『足利季世記』巻4「舎利寺合戦ノ事附晴元定頼免許ノ事」
永禄2年 1559年 6月6日
三好長慶
が
高屋城
(河内国)を攻めるべく河内十七ヶ所に布陣する。
安見宗房
は長慶勢に対し足軽を遣わし防戦する。
出典:『足利季世記』巻5「細川氏綱淀城入事」
永禄2年 1559年 8月1日
三好長慶
、
畠山高政
が
安見宗房
の籠る
高屋城
(河内国)に攻め入り城下を放火する。宗房が
飯盛山城
に撤退したため、長慶、高政は高屋城に入城する。
出典:『足利季世記』巻5「細川氏綱淀城入事」
永禄3年 1560年 8月30日
三好実休
が
高屋城
(河内国)近所に攻め寄せる。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」
永禄3年 1560年 9月9日
高屋城
(河内国)東の河原口にて
伊丹親興
と貴志・丹下・野尻が率いる畠山勢と交戦し、親興が勝利する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」
永禄3年 1560年 10月15日
根来寺
衆の杉坊・岩室が率いる軍勢500が
高屋城
(河内国)の後詰としてやってくるが、高屋城を包囲する三好勢が打ち破る。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」
永禄3年 1560年 10月24日
飯盛山城
(河内国)の
安見宗房
が城を
三好長慶
に明け渡し
堺
に逃れる。
高屋城
(河内国)の
畠山高政
・
遊佐信教
が城を長慶に明け渡し
堺
に逃れる。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」
永禄3年 1560年 11月13日
飯盛山城
(河内国)に入城する。
三好実休
が
高屋城
(河内国)に入城する。
出典:『足利季世記』巻5「松永弾正和州平均之事」
永禄4年 1561年 -月-日
畠山高政
・
根来寺
衆・紀伊国衆が岸和田(和泉国)に出陣し、
安見宗房
・
遊佐信教
もそれに応じるとの報をうけ、
高屋城
(河内国)に在番していた
三好実休
が大将として
安宅冬康
・
三好康長
・
三好政勝
・三好盛政・吉成勘助・
篠原長房
の軍勢7000を率い畠山勢と対陣する。
出典:『足利季世記』巻5「勝軍地蔵山合戦之事」
永禄5年 1562年 3月5日
久米田(河内国)にて
畠山高政
・
安見宗房
・
遊佐信教
・
根来寺
衆と
三好実休
が戦い、実休が戦死する。実休の辞世「草からす 霜又今朝ノ 日に消て 報の程は 終にのかれず」。
この戦いにより
高屋城
(河内国)が落ちるとともに、
三好長慶
の居城・
飯盛山城
を除く河内国の三好方の諸城が畠山高政方に靡く。
出典:『厳助往年記』同年月6日条、『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」
永禄5年 1562年 3月6日
三好実休
が戦死したため、
安宅冬康
は在番していた
岸和田城
(和泉国)を放棄する。同城は
畠山高政
の支配下となる。
足利義輝
が慶寿院とともに八幡(山城国)に移る。
六角義賢
が勝軍地蔵城(山城国)から清水坂に陣を移す。
三好長慶
は
山崎
(山城国)に撤退する。
出典:『足利季世記』巻6「久米田合戦之事」
永禄9年 1566年 2月18日
三好長逸
、
三好宗渭
、
岩成友通
が
高屋城
(河内国)にて上芝の合戦で討ち取った敵の首実検を行う。
出典:『多聞院日記』同年月19日条
元亀2年 1571年 5月30日
三好長逸
、
三好宗渭
、
岩成友通
の軍勢が
畠山高政
・遊佐の籠る
高屋城
(河内国)に攻め入る。
出典:『多聞院日記』同年月日条
元亀2年 1571年 6月11日
高屋城
(河内国)を攻めていた
三好長逸
、
三好宗渭
、
岩成友通
の軍勢が撤退する。
出典:『多聞院日記』同年月日12条
元亀3年 1572年 閏1月4日
畠山昭高
が
高屋城
(河内国)にて
遊佐信教
に殺害されそうになる。
出典:『多聞院日記』同年月日条
天正3年 1575年 4月8日
織田信長
が駒ヶ谷山に陣取る。
佐久間信盛
、
柴田勝家
、
丹羽長秀
、
塙直政
が
三好笑岩
が籠る
高屋城
(河内国)を攻める。
出典:『信長公記』巻8(3)「河内国新堀城攻め干され並に誉田城破却の事」
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