人 物 史

松平信綱 まつだいら のぶつな
生 没 年慶長1年(1596)10/30-寛文2年(1662)3/16
出 身-幼 名亀千代
別 称長四郎、正永
法 名-
戒 名-
大河内久綱
松平正綱[養父]
深井好秀の娘
兄 弟 姉 妹-
配 偶 者井上正就の娘
娘(酒井忠当の妻)、松平輝綱、松平吉綱、娘(土井利隆の妻)、松平伊織、松平信定、松平信興、娘(秋元忠朝の妻)、娘、松平堅綱、娘(松浦棟の妻)、娘
官 位伊豆守、侍従
役 職江戸幕府老中
城 郭川越城(武蔵国)
参 考 文 献○『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
関 連 デ ー タ-
松平信綱 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
慶長1年1596--1松平信綱が生まれる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
慶長1年159610271「文禄」より「慶長」に元号が改まる。-
慶長6年1601--6松平信綱が叔父・久綱に養われる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
慶長9年16047179徳川家光が生まれる。御篦刀役を酒井忠世がつとめる。『寛政重修諸家譜』巻第59「酒井忠世」の項
慶長9年16047259徳川竹千代の小姓として松平信綱が付される。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
元和1年161571320「慶長」より「元和」に年号が改まる。『駿府記』同年月日条
元和9年162361528松平信綱が徳川家光の御小姓組番頭となる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
元和9年16237-28松平信綱が従五位下・伊豆守に叙位・任官。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
元和9年16237-28徳川家光が上洛する。松平信綱、佐竹義宣が供奉する。『寛政重修諸家譜』巻第129「佐竹義宣」・同256「松平信綱」の項
寛永1年162423029「元和」より「寛永」に年号が改まる。-
寛永4年16271532幕府が松平信綱に相模国高座郡・愛甲郡内で8000石を給付し、信綱は総じて10000石を領する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永7年163051735幕府が松平信綱に上野国白井村・阿保村内で5000石を給付し、信綱は総じて15000石を領する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永9年163212437徳川秀忠が死去する。-
寛永9年1632111837徳川家光が松平信綱を宿老格とする。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永10年163311438徳川家光が松平信綱を遣わし佐竹義宣の病の容態を問う。『寛政重修諸家譜』巻第129「清和源氏 義家流 佐竹」「佐竹義宣」の項
寛永10年163332338徳川家光が松平信綱、阿部忠秋、堀田正盛、三浦正次、太田資宗、阿部重次で政務を議し、小事について当人等で処置するように命じる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永10年163341938松平信綱、堀田正盛が数寄屋方を担当する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永10年16335538徳川家光が奉書に花押を据える役を土井利勝酒井忠勝、松平信綱とする。
幕府が信綱に15000石を加増し、忍城(武蔵国)城主とする。
『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永10年163351638松平信綱が水口(近江国)に建設予定の御殿の地を検分する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永10年16337338松平信綱が江戸城(武蔵国)に戻り、徳川家光に謁し、羽織3領を献上する。家光は信綱に茄子茶入、白糸茶碗を下賜する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永11年1634閏72939松平信綱が従四位下に叙される。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永11年163491339徳川家光が日光東照宮に参詣する。松平信綱が供奉する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永12年1635111540徳川家光が土井利勝酒井忠勝、阿部忠秋、堀田正盛、松平信綱に月番で大名よりの訴訟を聴し、家光に報告するよう命じる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永12年163512340駿府城(駿河国)火災の事後処理に松平信綱が赴く。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永13年163632841徳川家光の日光東照宮参詣につき、松平信綱が江戸城(武蔵国)の留守居をつとめる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永13年1636121241松平信綱が日光東照宮に赴き、朝鮮通信使に参賀作法を伝える。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永14年1637101642徳川家光が松平信綱邸に赴く。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永14年1637112742徳川家光が松平信綱に島原(肥前国)の一揆鎮圧を命じる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永14年163712242松平信綱が島原(肥前国)の一揆鎮圧のため徳川家光に暇乞いをする。家光は信綱に着用していた羽織を着せ、馬(力黒)、時服20領、黄金50枚を下賜する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永14年163712342島原(肥前国)の一揆鎮圧のため松平信綱・輝綱父子が江戸城(武蔵国)を発す。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永14年1637121442松平信綱・輝綱父子が伏見(山城国)を発す。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永14年1637121642松平信綱、戸田氏鉄大坂城(摂津国)に入り、阿部正次、稲葉重綱とともに議し、大坂城に保管している大砲・弾薬の回漕を命じる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年16381143板倉重昌率いる幕府軍が天草時貞率いる一揆勢の籠る原城(肥前国)を攻める。重昌が戦死する。-
寛永15年16381243松平信綱が寺井(肥前国)に到着する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年163811943松平信綱が平戸(肥前国)に入港したオランダ人の船を一揆勢の籠る原城(肥前国)の近くに寄せて城に石火矢を撃ち込む。この砲撃姿勢から、オランダが一揆に与しないかをうかがう。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年163812643細川忠利が島原(肥前国)に到着する。『寛政重修諸家譜』巻第105「清和源氏 義家流 足利庶流 細川」「細川忠利」の項
寛永15年163812843幕府が上使として宮城和甫・石川貴成を原城(肥前国)を囲む諸勢のもとに遣わし兵粮を配る。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年16382143幕府が上使として酒井忠知・駒木根政次を原城(肥前国)を囲む諸勢のもとに遣わし、松平信綱の兵粮攻めを徳川家光が支持していることを伝える。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年163822143原城(肥前国)に籠る一揆勢が黒田忠之の陣所を夜襲する。幕府軍は応戦し、一揆勢を退ける。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年163822743幕府軍の内、鍋島勝茂が抜け駆けし天草時貞率いる一揆勢が籠る原城(肥前国)を攻める。細川忠利・光尚が三ノ丸を、小笠原忠真が二ノ丸を、小笠原長次が本丸を攻める。『寛政重修諸家譜』巻第105「細川忠利」・「細川光尚」の項、『同』巻第188「小笠原忠真」の項、『同』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年163822843幕府軍が天草時貞率いる一揆勢が籠る原城(肥前国)の本丸を惣攻めする。細川忠利勢の陣佐左衛門が天草時貞を討ち取る。『寛政重修諸家譜』巻第105「細川忠利」の項、『同』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年16383143原城(肥前国)を破却する。
籠城していた一揆勢37000人に対し、キリスト教からの改宗を促すが、応じないためすべて処刑する。
『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年16384343松平信綱・戸田氏鉄、上使・太田資宗が松倉勝家・重頼父子、寺沢堅高を小倉城(豊前国)に召し寄せ、所領改易を伝え、勝家は森長継に、重頼は生駒高俊に身柄を預ける。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年163851243松平信綱・輝綱父子が江戸(武蔵国)に戻る。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年163851343松平信綱・輝綱父子が江戸城(武蔵国)に登城し、徳川家光に島原の一揆の様子を報告する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永15年163811743徳川家光が松平信綱、阿部忠秋、阿部重次に大番および寄合を仕切るよう命じる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永16年16391544幕府が松平信綱を忍(武蔵国)より川越(武蔵国)に移封し、30000石を加増する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永16年163942344松平信綱が川越城(武蔵国)に入る。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永16年163981144江戸城(武蔵国)の大奥より出火する。-
寛永17年16404-45徳川家光が日光東照宮に参詣する。供奉は松平信綱。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永18年164151146徳川家光が松平信綱に日光東照宮の修造を命じる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永18年164110346日光東照宮の修造が成る。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永19年16428347徳川竹千代の1歳の誕生日を祝し、松平信綱が江戸城(武蔵国)二ノ丸にて御膳を献じる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永19年16429647徳川家光が崇源院の17回忌法会を行う。松平信綱が奉行する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永19年164292947日光山に相輪堂建立につき、松平信綱が地形の選定を行う。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永19年164211847松平信綱が体調を崩しやすくなったため、隔日で出仕するように徳川家光が命じる。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永20年164310148後光明天皇の即位につき、徳川家綱の使者として松平信綱が東福門院御所に赴く。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永20年164310348明正上皇が御所に行幸する。明正上皇の命により、同上皇の鳳輦に酒井忠勝・松平信綱・板倉重宗が扈従する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永20年1643102748松平信綱が参内し、後光明天皇に謁し、天皇より天盃を賜う。その後、天皇即位を賀すべく明正上皇のもとに赴く。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永20年164311148後光明天皇が松平信綱に太刀(銘 大原真光)、折枝を下賜する。明正上皇が仙洞御所にて信綱に饗を給い、太刀(銘 吉岡一文字)、百和香を下賜する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
寛永20年164311448明正上皇が松平信綱に時服10領、百和香を下賜する。信綱が侍従に任官する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
正保1年1644121649「寛永」より「正保」に年号が改まる。-
正保3年16464351父・大河内久綱が死去する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
正保4年16477552幕府が松平信綱に常陸国新治郡、武蔵国埼玉郡内で15000石を給付し、信綱は総じて75000石を領す。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
慶安1年164821553「正保」より「慶安」に年号が改まる。-
承応1年165291857「慶安」より「承応」に年号が改まる。-
明暦1年165541360「承応」より「明暦」に年号が改まる。-
万治1年165872363「明暦」より「万治」に年号が改まる。-
寛文1年166142566「万治」より「寛文」に年号が改まる。-
寛文2年166231667松平信綱が死去する。『寛政重修諸家譜』巻第256「松平信綱」の項
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