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軍役から石高算出
城 郭 史
池田城(摂津国)
いけだじょう
築 城 年
-
築 城 者
-
改 築 年
-
改 築 者
-
廃 城 年
-
別 称
-
現 所 在 地
〒563-0052
大阪府池田市城山町3-19
史 料 地 名
-
参 考 文 献
○
池田城(摂津国)に関する参考文献
関 連 デ ー タ
-
リ ン ク
-
池田城(摂津国) 年表
永正16年 1519年 12月6日
細川高国
が
池田城
(摂津国)に入る。
出典:『陰徳太平記』巻4「細川澄元囲越水城付細川高国後詰之事」
享禄3年 1530年 8月27日
細川道永
が神咒寺(摂津国)に陣取る。道永に対応すべく、
細川晴元
は
高畠長直
を
伊丹城
(摂津国)に、池田信正を
池田城
(摂津国)に、薬師寺国盛を富松城(摂津国)に入れ置く。
出典:『細川両家記』
享禄4年 1531年 2月28日
細川道永
が
伊丹城
(摂津国)を攻める。道永の攻撃に耐えられなくなった
高畠長直
が、城を道永に明け渡し
池田城
(摂津国)に移る。
出典:『細川両家記』
享禄4年 1531年 3月6日
細川道永
が
池田城
(摂津国)を攻め落とす。
出典:『細川両家記』
享禄5年 1532年 4月6日
細川晴元
が
池田城
(摂津国)に入城する。
出典:『私心記』同年月日条
天文1年 1532年 8月5日
一向一揆勢が
細川晴元
の居る
堺
北荘に攻め入るが、
木沢長政
の救援もあって細川勢が一向一揆勢を退ける。
池田城
(摂津国)に摂津国の一向一揆勢が攻めかかるが和睦により一揆勢は開陣する。
出典:『経厚法印日記』同年月日条、『細川両家記』、『足利季世記』巻四 山科本願寺責落事
天文2年 1533年 4月6日
細川晴元
が
淡路国
より
池田城
(摂津国)に入る。
出典:『私心記』同年月日条、『足利季世記』巻四 伊丹城合戦附晴元帰ル事、『細川両家記』、『陰徳太平記』巻8「摂州諸所合戦之事」
天文2年 1533年 4月7日
池田城
(摂津国)に着陣する。
本満寺
に本願寺との手切れが15日であることを伝えたうえで檀那を動員し
大坂本願寺
に攻め入るよう催促する。
出典:(天文2年)4月7日付細川晴元書状(『戦国遺文』三好氏編第1巻-103号「本満寺文書」)
天文15年 1546年 9月11日
三好長慶
が
池田城
(摂津国)を攻める。
出典:『私心記』同年月日条
天文15年 1546年 11月25日
三好長慶
が
池田城
(摂津国)を攻める。
出典:『私心記』同年月日条
天文17年 1548年 8月11日
三好長慶
と
伊丹親興
が
池田長正
の
池田城
(摂津国)に夜討ちをかけ、城を焼き討ちにする。
出典:『私心記』同年月日条
天文18年 1549年 1月24日
三好政長
が多田衆を率い池田市場(摂津国)に朝早く攻め入り焼き討ちする。
出典:『足利季世記』巻4「方浜合戦ノ事」
天文22年 1553年 8月18日
細川晴元
の牢人衆・塩川伯耆守が池田(摂津国)にて蜂起し
芥川山城
(摂津国)の後詰に赴くが敗れる。
出典:『足利季世記』巻5「芥川落城之事」
永禄11年 1568年 10月2日
足利義昭
、
織田信長
が
芥川山城
(摂津国)に陣取る。
三好長逸
・
池田勝正
が義昭・信長に降伏する。
松永久秀
が義昭のもとへ礼に赴くため八幡山(山城国)に入る。
出典:『多聞院日記』同年月日条
永禄13年 1570年 4月20日
織田信長
が
朝倉義景
の領国である越前国へ侵攻すべく、軍勢30000を率い京都を発ち、一条(山城)を東に出て
坂本
(近江国)を経由して和邇(近江国)に到着する。和邇・堅田に陣取る。
武井夕庵
、
松永久秀
、
池田勝正
(軍勢3000)が従軍する。
出典:『言継卿記』同年月日条、『信長公記』巻3(3)「観世大夫、今春大夫立合に御能の事」、『多聞院日記』同年月22日条、『当代記』同年月日条
永禄13年 1570年 4月21日
織田信長
が田中城(近江国)に到着する。
出典:『信長公記』巻3(3)「観世大夫、今春大夫立合に御能の事」
永禄13年 1570年 4月22日
織田信長
が熊川(若狭国)の松宮玄蕃の所に宿泊する。
出典:『信長公記』巻3(3)「観世大夫、今春大夫立合に御能の事」
元亀1年 1570年 4月23日
織田信長
が佐柿(若狭国)の粟津越中守の所に逗留する。
出典:『信長公記』巻3(3)「観世大夫、今春大夫立合に御能の事」
元亀1年 1570年 4月25日
織田信長
が敦賀(越前国)に着陣し、手筒山城(越前国)を攻める。織田勢は森可隆が戦死する。
出典:『信長公記』巻3(4)「越前手筒山攻落されの事」、『言継卿記』同年月27日条、『多聞院日記』同年月29日条、『当代記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第126「森可隆」の項
元亀1年 1570年 4月26日
金ヶ崎城
(越前国)に籠城していた
朝倉景恒
が
織田信長
に降伏する。
出典:『信長公記』巻3(4)「越前手筒山攻落されの事」
元亀1年 1570年 4月29日
織田信長
が越前国侵攻中のところ、義弟・
浅井長政
が信長を裏切り、
朝倉義景
に呼応する。美濃国への往還が不可能となった信長は若狭国西路を京都(山城国)に向かって逃走する。
出典:『言継卿記』同年月日条
元亀1年 1570年 4月30日
越前国侵攻中の
織田信長
が、
浅井長政
の裏切りにより越前国を撤退し、下田(丹波国)を経由し、亥刻(21-23時)、10名程度で京都に入る。
松永久秀
等が供をする。
出典:『言継卿記』同年月日条、『多聞院日記』同年5月1日条、『継芥記』同年5月1日条、『当代記』同年月日条
元亀1年 1570年 6月18日
池田勝正
が池田豊後守・池田周防神を殺害し出奔する。
出典:『言継卿記』同年月19日条、、『陰徳太平記』巻47「三好勢摂州渡海之事」
元亀1年 1570年 6月19日
足利義昭
の近江国への出陣が、18日の
池田勝正
の家内の内紛と
三好長逸
、
三好宗渭
、
岩成友通
が攻め入ってくるとの噂があったことから延期となる。
出典:『言継卿記』同年月日条
元亀1年 1570年 6月20日
池田21人衆の内、池田豊後守、池田周防守が殺害され、
池田勝正
は
池田城
から追われ、刀禰山、次いで大坂(摂津国)に落ち延びる。勝正は
足利義昭
のもとに赴くとして、義昭のもとより
上野秀政
(軍勢500)、
細川藤孝
(軍勢200)、一色紀伊守、織田三郎五郎の合わせて軍勢2000余が
山崎
(山城国)に派遣される。
出典:『言継卿記』同年月日条
元亀1年 1570年 6月26日
三好義継
、
池田勝正
が上洛する。
三好長逸
、
岩成友通
が
池田城
(摂津国)に入城したと噂される。
出典:『言継卿記』同年月日条
天正6年 1578年 10月21日
荒木村重
が
織田信長
に謀反をするのではと信長に伝わるが、信長は村重が謀叛をする理由がないとしつつも、確認のため
松井友閑
、
明智光秀
、
万見重元
を村重のもとに遣わす。村重は信長に謀叛をするつもりはないと返答するが、信長に対し謀叛する。
出典:『信長公記』巻11(13)「荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事」
天正6年 1578年 12月8日
織田信長
が
荒木村重
の籠る
有岡城
(摂津国)を攻める。攻め衆は、
堀秀政
・
万見重元
・
菅屋長頼
が奉行をつとめ、
筒井順慶
、平井久右衛門、中野又兵衛、芝山次大夫等が参戦する。ただし、村重は織田勢を退け、織田勢は重元、水野忠分等2000余名の戦死者を出す。
出典:『多聞院日記』同年月12日条、『信長公記』巻11 荒木摂津守逆心を企て並に伴天連の事、『家忠日記』同年月12日条
天正6年 1578年 12月11日
織田信長
が
有岡城
(摂津国)の抑えとして付城の築城を命じ、古池田(摂津国)に移る。
塚口郷の砦に
丹羽長秀
・
蜂屋頼隆
・
蒲生氏郷
・
高山重友
・
神戸信孝
を、毛馬村の砦に
織田信包
・
滝川一益
・
北畠信雄
・武藤舜秀を、倉橋郷の砦に
池田恒興
・
元助
・
池田古新
を、原田郷の砦に
中川清秀
・
古田重然
を、刀根山の砦に
稲葉良通
・
氏家直昌
・
安藤守就
・芥川を、郡山の砦に
津田信澄
を、古池田の砦に塩川伯耆を、加茂の砦に
織田信忠
を、
高槻城
(摂津国)に
大津長昌
・牧村長兵衛・生駒市左衛門・生駒三吉・湯浅甚介・
猪子高就
・村井作右衛門・武田左吉を、
茨木城
(摂津国)に
福富秀勝
・下石彦右衛門・
野々村正成
を置く。
播磨国に、
羽柴秀吉
・
佐久間信盛
・
明智光秀
・
筒井順慶
を三田城(摂津国)に遣わす。
出典:『信長公記』巻11 同年月日条
天正7年 1579年 9月24日
織田信長
が
荒木村重
を攻めるべく、
山崎
(山城国)を発ち、古池田(摂津国)に着陣する。
出典:『信長公記』巻12(10)「北畠中将殿御折檻状の事」
天正7年 1579年 9月27日
織田信長
が
有岡城
(摂津国)を囲む諸砦を見舞う。昆陽(摂津国)に在陣中の
滝川一益
のもとに逗留の後、塚口(摂津国)に在陣中の
丹羽長秀
のもとに赴き休息をとった後、古池田(摂津国)に戻る。
出典:『信長公記』巻12(10)「北畠中将殿御折檻状の事」
天正7年 1579年 10月15日
早朝、
荒木村重
の籠る
有岡城
(摂津国)の城外のカワメ市場が焼ける。
滝川一益
が荒木家の足軽大将である星野・山脇・隠岐・宮脇を寝返らせ、織田勢を城中に引き入れる。
出典:『多聞院日記』同年月16日条、『信長公記』巻12(13)「伊丹城謀叛人の事」
天正7年 1579年 11月20日
荒木村重
の
有岡城
(摂津国)が開城し、
織田信長
に渡される。
出典:『多聞院日記』同年月22日条
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