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史料にみえる人物の呼称
石高から軍役算出
軍役から石高算出
人 物 史
和田惟長
わだ これなが
生 没 年
?-?
出 身
-
幼 名
愛菊
別 称
伝右衛門尉
法 名
-
戒 名
-
父
和田惟政
母
-
兄 弟 姉 妹
和田惟長
配 偶 者
-
子
-
官 位
-
役 職
-
城 郭
高槻城
(摂津国)
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
○
和田惟長の関連文化財
和田惟長 年表
- -年 -月-日
和田惟長
が生まれる。
出典:-
元亀3年 1572年 4月16日
三好義継
、
松永久秀
・
久通
父子の攻撃を受けている安見新七郎の交野城(河内国)を救援するため、
織田信長
が
佐久間信盛
、
柴田勝家
、
明智光秀
、坂井越中守、
蜂屋頼隆
、
斎藤利治
、
稲葉良通
、
氏家直昌
、
安藤守就
、
不破光治
、
丸毛長照
、
多賀常則
、
細川藤孝
、
三淵藤英
、
上野秀政
、
池田勝正
、
伊丹親興
、
和田惟長
の軍勢20000を遣わす。
松永久秀は騎西城(河内国)に在城中という。
出典:『兼見卿記』同年月日条、『信長公記』巻5(2)「交野へ松永取出仕候、追ひ払はるゝの事」
元亀3年 1572年 5月11日
交野城(河内国)の救援に赴いていた軍勢が河内国より京都に帰陣する。
出典:『兼見卿記』同年月日条
元亀4年 1573年 3月11日
高山重友
が
高槻城
(摂津国)内にて
和田惟長
に叛き、惟長を殺害しようとする。惟長は重傷を負い天守閣に籠るも、家中の者の仲介により惟長は退城する。
出典:『兼見卿記』同年月日条
- -年 -月-日
和田惟長
が死去する。
出典:-
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