人 物 史

多賀常則 たが つねのり
生 没 年?-天正15年(1587)
出 身-幼 名-
別 称新左衛門
法 名-
戒 名-
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兄 弟 姉 妹-
配 偶 者-
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官 位-
役 職-
城 郭-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
多賀常則 年表
和暦 西暦 年齢 事項 出典
-----多賀常則が生まれる。-
元亀1年1570925-織田信長が比叡山の麓にあって香取屋敷を丈夫に拵える。平手汎秀、長谷川与次、山田三左衛門、不破光治丸毛長照、浅井新八、丹羽源六、水野大膳に穴太(近江国)にて砦の普請を命じ、簗田広正川尻秀隆佐々成政、塚本小大膳、明智光秀、苗木久兵衛、村井貞勝佐久間信盛、進藤山城守、後藤喜三郎、多賀常則、梶原平次郎、永井雅楽助、種田助丞、佐藤六左衛門、中条監物を置く。下坂本(近江国)のうち田中に柴田勝家氏家卜全安藤守就稲葉良通を置く。信長は宇佐山城(近江国)に入る。『信長公記』巻3(10)「志賀御陣の事」
元亀3年1572416-三好義継松永久秀久通父子の攻撃を受けている安見新七郎の交野城(河内国)を救援するため、織田信長佐久間信盛柴田勝家明智光秀、坂井越中守、蜂屋頼隆斎藤利治稲葉良通氏家直昌安藤守就不破光治丸毛長照多賀常則細川藤孝三淵藤英上野秀政池田勝正伊丹親興和田惟長の軍勢20000を遣わす。
松永久秀は騎西城(河内国)に在城中という。
『兼見卿記』同年月日条、『信長公記』巻5(2)「交野へ松永取出仕候、追ひ払はるゝの事」
元亀3年1572511-交野城(河内国)の救援に赴いていた軍勢が河内国より京都に帰陣する。『兼見卿記』同年月日条
天正1年157388-浅井長政家臣・阿閉貞征が織田信長に内通する。『信長公記』巻6(11)「阿閉謀叛の事」
天正1年1573810-織田信長が大づくの北山田山に軍勢を置き朝倉義景勢の越前国への通路を断つ。『信長公記』巻6(11)「阿閉謀叛の事」
天正1年1573812-浅見対馬の手引きにより大づくの下焼尾に織田信長が軍勢を入れ、信長自ら太山大づくに籠る朝倉勢を攻撃し落とす。大づくには塚本小大膳、不破光治不破直光丸毛長照、丸毛三郎兵衛を置く。その後、丁野山に攻めかかり、同所に拠る朝倉勢が降伏する。
織田信忠が虎御前山(近江国)に陣取る。
『信長公記』巻6(12)(「大筒・丁野攻破らるるの事」)
天正1年1573813-織田信長朝倉義景の陣所に夜襲をかける。佐久間信盛柴田勝家滝川一益蜂屋頼隆羽柴秀吉丹羽長秀氏家直昌安藤守就稲葉良通、稲葉右京亮、稲葉貞通蒲生賢秀蒲生氏郷、永原筑前、進藤山城守、永田刑部少輔、多賀常則、久徳左近、阿閉貞征、阿閉孫五郎、山岡景隆、山岡孫太郎、山岡景猶に先陣を命じるも、信長は先陣を追い越し陣所に攻め入ったため、先陣の役割を果たさなかった諸将を叱責する。信長の叱責を受けた諸将は立つ瀬がないと信長に詫びるも、信盛は「自分たち程の家臣はない」と豪語したことで信長は機嫌を損ねる。『信長公記』巻6(12)(「大筒・丁野攻破らるるの事」)・(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573814-昨夜より織田信長朝倉義景勢に夜襲をかけ、朝倉勢は中野河内口、刀根口に撤退するも、織田勢が追撃し、3000程を討ち取る。斎藤龍興が戦死する。
信長が敦賀(越前国)に滞在する。
『信長公記』巻6(12)(「大筒・丁野攻破らるるの事」)・(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573815-織田信長が敦賀(越前国)に滞在する。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573816-織田信長が敦賀(越前国)に滞在する。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573817-織田信長が木芽峠を越えて越前国に侵入する。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573818-織田信長が府中龍門寺(越前国)に陣取る。朝倉義景は一乗谷(越前国)を引き払い大野郡山田庄六坊に移る。『信長公記』巻6(13)(「刀根山の戦並に一乗谷攻破らるるの事」)
天正1年1573820-朝倉景鏡の裏切りにより賢松寺(越前国)にて朝倉義景が自害する。義景の首が龍門寺(越前国)にいる織田信長のもとにもたらされる。『信長公記』巻6(14)(「朝倉義景成敗、越前一国平均に申付けらるるの事」)
天正1年1573826-織田信長が虎御前山(近江国)に入る。『信長公記』巻6(14)(「朝倉義景成敗、越前一国平均に申付けらるるの事」)
天正1年1573827-羽柴秀吉小谷城(近江国)京極丸を攻略し、浅井久政長政父子を分断する。秀吉は小丸に籠る久政を攻め、久政は切腹する。久政の首は織田信長の居る虎御前山に届けられる。『信長公記』巻6(15)(「浅井下野・備前父子成敗、羽柴筑前跡職仰付けらるるの事」)
天正1年1573828-織田信長小谷城(近江国)京極丸に入る。
浅井長政は小谷城にて自害する。
浅井久政・長政父子の首を京都に送る。
『信長公記』巻6(15)(「浅井下野・備前父子成敗、羽柴筑前跡職仰付けらるるの事」)、『豊鑑』巻1
天正9年158193-織田信長が伊賀国攻めを命じる。甲賀口より堀秀政を大将に小姓衆・近江衆の丹羽長秀蒲生氏郷京極高次多賀常則・山崎源太左衛門・阿閉貞征、伊勢口より北畠信雄滝川一益、南伊賀へは宇多郡衆、西より畑口から筒井順慶、黒田へ福住が攻め込む。『多聞院日記』同年月日条、『信長公記』巻14(10)「伊賀国三介殿仰付けらるるの事」
天正9年1581910-伊賀国を攻めている織田信雄の軍勢が同国内の寺社を焼き討ちする。滝川一益堀秀政が佐野具(伊賀国)より出勢した伊賀国衆の足軽と戦う。『信長公記』巻14(10)「伊賀国三介殿仰付けらるるの事」
天正9年1581911-佐野具城(伊賀国)に北畠信雄が入城する。『信長公記』巻14(10)「伊賀国三介殿仰付けらるるの事」
天正9年1581915-筒井順慶の伊賀国攻めの攻め口の諸城20ヶ所余が降伏する。『多聞院日記』同年月日条
天正15年1587---多賀常則が死去する。-
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