寺 院 史

三十三間堂 蓮華王院(山城国) さんじゅうさんげんどう
本 尊千手観音
創 建長寛2年 1165年
開 基後白河天皇
山 号-
宗 派天台宗
別 称-
関連宗教施設-
現 所 在 地〒605-0941
京都府京都市東山区三十三間堂廻町657

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旧 所 在 地-
史 料 地 名-
イ メ ー ジ-
参 考 文 献-
関 連 デ ー タ-
リ ン ク-
三十三間堂 蓮華王院(山城国) 年表
文保3年 1319年 1月19日 
兵庫関のことについて東大寺が春日神輿を入京させる強訴をし、七条河原で渋谷氏と春日神人が戦闘。神人は逃げ去り神輿が七条河原に振り捨てられたままであったため、神輿を蓮華王院に移す。
出典:『文保三年記』同年月日条

大永7年 1527年 4月7日 
山科言継三十三間堂に参詣。後白河院に焼香を捧げる。
出典:『言継卿記』同年月日条

天文14年 1545年 5月7日 
八瀬川入道が三十三間堂奉加帳を請け取りに山科言継のもと訪れる。八瀬川からの依頼により言継が三十三間堂修造について禁裏の沙汰であること、国々での勧進に尽力するようにとする判物を本願 普門坊宛に発給する。
出典:『言継卿記』同年月日条

永禄13年 1570年 3月17日 
鞍馬寺を目指す興福寺の多聞院英俊が三十三間堂に参詣し千手観応を見物する。
英俊は「四条ノ長刀杵ノ町五郎太郎」の所に宿泊する。
出典:『多聞院日記』同年月日条

天正10年 1582年 2月5日 
初午につき山科言経が稲荷社に参詣する。その後、東福寺三十三間堂を見物する。
出典:『言経卿記』同年月日条

天正10年 1582年 2月14日 
夜、三十三間堂が火災に遭う。
出典:『多聞院日記』同年月17日条

天正13年 1585年 11月1月29日日 
大地震により三十三間堂内の仏像600体が倒れるという。
出典:『宇野主水記』同年月日条

天正16年 1588年 5月15日 
豊臣秀吉の命により三十三間堂の北に大仏殿の地築がなる。また京の町衆による風流踊や金春・観世座の能も行われる。
出典:『言経卿記』『多聞院日記』同年月日条

天正16年 1588年 5月16日 
豊臣秀吉大仏殿の屋敷に赴く。上京下京の町人に踊りを命じる。
出典:『北野日記』同年月日条(『北野天満宮史料』北野天満宮史料刊行会、北野天満宮、1980年)

文禄4年 1595年 4月15日 
豊臣秀次前田玄以と協議のうえ、三十三間堂において弓矢を射ることを禁止する。
出典:『駒井日記』同年月日条

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