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地 名 の 歴 史
吉良(三河国)
きら
初 見
-
国
三河国
郡
幡豆郡
荘 園
-
中 世 高
-
近 世 領 主
-
近 世 石 高
-
鎮 守
-
神 社
-
寺 院
-
城 郭
-
参 考 文 献
-
関 連 デ ー タ
-
吉良(三河国) 年表
天文16年 1547年 -月-日
織田信長
が初陣(「武者始」)として駿河衆のいる
吉良
大浜(三河国)に出兵し所々を放火する。
出典:『信長公記』(首巻)吉法師殿御元服の事
天正4年 1576年 12月10日
織田信長
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をするため
安土城
(近江国)を発し
佐和山城
(近江国)に宿泊する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」
天正4年 1576年 12月22日
織田信長
が
吉良
(三河国)に到着する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」
天正4年 1576年 12月23日
織田信長
が
吉良
(三河国)に逗留する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」
天正4年 1576年 12月24日
織田信長
が
吉良
(三河国)に逗留する。
出典:『信長公記』巻9(8)「三州吉良御鷹野の事」
天正5年 1577年 12月10日
織田信長
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をするため
安土城
(近江国)を発し、
丹羽長秀
の居城・
佐和山城
(近江国)に宿泊する。
出典:『信長公記』巻10(13)「三州吉良御鷹野の事」、『当代記』巻2同年月日条
天正5年 1577年 12月15日
織田信長
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をする。
出典:『信長公記』巻10(13)「三州吉良御鷹野の事」
天正6年 1578年 1月18日
織田信長
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をする。
出典:『信長公記』巻11(2)「御節会の事」
天正7年 1579年 1月20日
徳川家康
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をする。
出典:『家忠日記』同年月日条
天正7年 1579年 1月27日
徳川家康
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をする。
出典:『家忠日記』同年月日条
天正7年 1579年 1月29日
徳川家康
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をする。宇屋(三河国)にて
松平家忠
が酒宴を催す。家康は家忠に鷹狩で獲た雁を下賜する。
出典:『家忠日記』同年月日条、『寛政重修諸家譜』巻第29「松平家忠」の項
慶長17年 1612年 1月7日
徳川家康
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をするため
駿府城
(駿河国)を出立する。田中に宿泊する。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長17年 1612年 1月14日
徳川家康
が
吉良
(三河国)に到着する。家康が
西尾城
(三河国)城主・松平康俊に銀100枚を下賜する。
夜、
加藤忠広
の後見役として肥後国に赴いていた
藤堂高虎
が家康のもとを訪れる。肥後国地図を家康に見せる。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長17年 1612年 1月16日
徳川家康
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をする。
京極忠高
が家康のもとを訪れ、御服・嘉肴を献上する。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長17年 1612年 1月17日
徳川家康
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をする。後陽成上皇に鷹狩で狩った鶴を進上する。伝奏の
広橋兼勝
、
勧修寺光豊
に雁3羽を贈る。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長17年 1612年 1月18日
徳川家康
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をする。鶴を
豊臣秀頼
に贈る。
出典:『駿府記』同年月日条
慶長18年 1613年 2月7日
本願寺教如
が聖運寺(三河国幡豆郡
吉良荘
西尾郷)の信乗に教如寿像を下付する。
出典:教如寿像裏書(『同朋大学仏教文化研究所紀要』33号-研究所調査記録)
慶長20年 1615年 1月19日
徳川家康
が
吉良
(三河国)にて鷹狩をする。
出典:『駿府記』同年月日条、『当代記』同年月日条
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